2012年9月18日

Tell me about you

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Edwin(前の職場の同僚)からメールが届いた。

"How is Japan? Tell me about you!"

時候の挨拶だとか結語だとかいろいろ難しいことをおもえば手紙がちょっと雑にすぎる気もする。


いや、すぎ。


けど、友だちとの会話にあっては「雑」もまた美徳のひとつ。
こまかい御託はお呼びでないのだ。
マクドナルドにナイフとフォークを持ちこんでも意味がないのと同じです。


何せ、こっちは歩みののろさでいったら三輪車にもひけをとらない雑なBlog。

いいのいいの。

固定観念は自転車における補助輪くらいの役割しか果たしてくれません。
補助輪が取れると体が軽くなるよ!




そんなこんなで、そろそろ続き書こうかな。

でもふと気がついてみれば我ながら順調に大人の階段をのぼっているらしく、
「忘れっぽくなってきたからメモをする」という初期段階(phase 1)から、
「メモをどこに置いたか忘れる」(phase 2)を経て、
「メモしたことを忘れる」驚異の第3段階(phase 3)まで知らぬ間に辿り着いているのです。

なので前に書き留めたBlogのメモがどこにあるか分からんし、そもそもメモしてたかどうかもあやふや。
書いてた気がするけど。。。

以前はピンと引き締まっていたニューロンも、今やしなびたえのき茸みたいになってるんじゃないかとおもう。

次に待つのはおそらく「忘れたことを忘れる」(phase4)というたいへんポジティブな忘我の境地であり、
行き着くその先は「忘れるという概念が消失する」(phase5)輝かしい無我の境地です。
それを涅槃と呼ぶのだとすれば、なんとなく老化上等という気がしてこないでもない。




話がそれた。
Edwinのフリに応えて、やっと前の続きを書こうかなって話。

2012年6月26日

どんどん季節は流れて

ウガンダとウガンダ青年海外協力隊の事について綴った雑誌「UG」。
外部向けなんで、どんどん拡散。





 



























そして、最近。
ウガンダの頼れる後輩達から「Vol.2、そろそろ校了」との嬉しい報告が。

どんどん季節は流れていくんだなー。


 

小さな国の大きな可能性

外部向け機関誌「UG」をFlicer経由でUP。
しようと思ったけど、できない。。。
なので、一個ずつ貼ります。
ウガンダに行きたい人はぜひご一読。

せっかくなので、P4P5のウガンダ紹介ページの文面だけ改めて↓

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希望と発展の地 ウガンダ

アフリカ中央部に位置し、南部にビクトリア湖を有するウガンダは、赤道直下にありがなら、アフリカの一般的イメージのサバンナや乾燥地帯とは異なり、実に緑豊かな国だ。

この国を一度でも訪れれば、ウガンダがかつて「アフリカの真珠」と評された意味が瞬時に理解できる。国内には、ナイル川の源流を始めとする河川や湖沼が数多くあり、月の山と呼ばれるアフリカ大陸三番目の標高を誇るルウェンゾリ山などの山々が連なり、マウンテンゴリラに代表される多様な野生動物が保護された国立公園が国内にいくつも点在する。

気候は、首都カンパラを例にとると、標高1200メートル、平均気温21度、年間降水量は約1050ミリと、非常に快適。市場には一年中彩り豊かな野菜や果物があふれ、主食のバナナ・米・豆類はもちろん、白菜や山芋まで手に入る。

そして、人々のはにかみに満ちた笑顔と底抜けの明るさ、時にはやりきれなくなる程の善意に触れると、暖かい温もりに胸が満たされる。かつてこの地に強大な王国が栄え、東アフリカで最初の大学が開校したといったプライドのようなものが、人々の振る舞いにあらわれているのかもしれない。

かつてウガンダは、内戦やクーデターが頻発し、政治は混沌化、経済も停滞。真珠はその光沢を失い、陰鬱な影だけが濃さを深める暗い時代が続いた。だが、国内が落ち着きを取り戻すにつれ、真珠は華麗な輝きを取り戻す。どこへ行ってもバナナがたわわに実り、広大な湿原地帯には色とりどりの野鳥が飛び交い、緑の濃さが目にしみる。エネルギーの塊のような街には沢山の看板とおびただしい数の人々が溢れ、自動車だらけの道路では、けたたましい街頭音楽や騒音が鳴り響く。

世界版「地球の歩き方」として知られる「Lonely Planet」を刊行するLonely Planet社による2012年度の「訪れてみたい国ランキング」では、ウガンダは世界一位の栄冠を獲得している。

途方もない底力を持つ人々と共に、雄大な自然を残しながら猛々しい勇み足で発展を続けるウガンダ。ここにはさらなる繁栄に向けた多くの可能性が秘められている。今後も真珠は磨き上げられ、更に多彩な輝きを放ちながら人々に希望をもたらし、その魅力を増していくだろう。

世界中の旅人は、そこに羨望の眼差しを向けているのだ。

アフリカの真珠は、どこへも逃げずにあなたと出会うのを待っている。眼をこらして輝く真珠を見つめた先に、あなたは何を見出すだろうか。
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そういう意図で書いたとは言え、読みなおして見ると「どーーーん」という威圧感。
まぁ「NA〜NANA〜NA〜NA〜♬」なんて、鼻歌交じりに電車に乗って遠くの近所へ、のらりくらいぐらいの気持ちで行ってもらいたい。

ウガンダに行けば、哀しい歌にしか共感できないような人だって、ひなたぼっこだけするような時間に安心しちゃうはずだ。

2012年5月28日

Celebrate

進路が決まりまして。

3月の終わりに帰国して、4月の終わりに進路が決まって、秋から働くのでした。


よく耳にする「協力隊経験者の日本社会復帰問題」について、個人的経験則から。

就職活動してたら、相手方は極端に二パターン。

①相手にされない
まず履歴書が通らない。通っても「結局、辞めるんでしょ?」という"自由人"という見方をされる。「一度日本社会からドロップアウトしたのに、何で戻って来るの?」っていう質問には、苦笑いだった。

②凄く相手にされる
ウガンダにいた頃からわざわざSkypeで面接してくれるところもあったり、面白いって言って高く買ってくれるところも多々あり。


まぁ、結局は個人の問題だけど。
高く評価されつつも上手く話せなかったと思うところはやっぱりダメだったし、なんとなくの気持ちの時はなんとなく落とされた。
”言葉だけじゃ通じない”ってのはウガンダの授業経験から学んだので、わざわざIllustratorで沿革作って売り込んだりもして、それは高く評価された。


ただ、どうしても苦手な質問があって。

「10年後の目標を聞かせて下さい」

まぁ、それは別に変わった質問でもなんでもなくて、普通はそこから定石なやりとりが始まるはず。



だけど、なんだか僕はとまどってしまった。


僕には、相手に語って満足してもらえるような将来の目標はない。

昔を思い出してみても、今こうしていられるのはその場の瞬発力と直感の賜物だし、学生時代にはまさか自分が数年後にウガンダ人相手にニュートン力学を教えてるなんて思ってもみなかった。
ウガンダに行ったのも"その時"に真剣に考えたことで、目標でも何でもなかった。


だからといってそれは勿論、日々無思考でいるということでもない。
当然自分が歩く道について日々考えながらも、やっぱりもって僕は、あさはかな僕たちの考える閉じた目標やゴールよりも、現実はもっと豊かで計り知れないものなんだっていう確信を常に持ち続けている。

僕のその思いはこんなにもハッキリと明確なんだと、先の質問に戸惑ってしまった自分から改めて知った。


定めた目標にしばられて途中で変わって行くことを放棄してしまうことのほうが、よっぽど無思考で無責任じゃないかと僕は思う。


とまぁ書き連ねつつ、たかが就職の面接でマジレスしちゃう自分はまだまだ若いなーとも思うわけで。


何せ、ここ連日ウガンダ生還&就職祝いでパーッと呑んでワーッとしてるのだ。
わしわし働く前に、人生に数度あるかないかのちやほやの渦で歓喜雀躍の体なのでした。
希望に満ちた明日よりも、とりあえず今夜の友だちとの楽しいお酒なのです。

2012年4月3日

おつかれさまの国

アレヨアレヨという間に帰国しました。

最後の、というか今年に入ってからのTO DOリストの消化具合が我ながら素晴らしい。

毎日が停電という環境は僕の作業スピードを著しく早めさせたのでした。
"電気が戻った!"と同時に作業開始。おちおちご飯をかきこむこともできません。

そんなバタバタした生活をしてたら、帰国すらあっという間に過ぎ去っていた。
In Kororo village⑤


"帰国時の心境"なんてのも書ければ良かったんだけど。
けど任地から引き上げた後に首都でも作業続けて、
帰国日3日前に資料を届けに任地に戻るなんて事をしてたあの日程では本当にムリ。

毎度の事だけど
「スミマセン」の5文字を弾にして僕に早撃ちさせたら、ビリー・ザ・キッドにも勝てる気がする。





そして帰国日の翌朝から次の進路のためにガタゴト電車乗ってるのでした。





まぁ、いいんだ。





一段落したらウガンダで2年間ボンヤリ考えてたまとめをちゃんと書ける気がするし。
今、「どう?」って聞かれてもやっぱりちゃんと答えられない。


こう、つき合い始めとか、同棲したて、結婚直後のふたりに、
「どう?」とかって聞くと、
「どうって‥‥まぁ、ねぇ」みたいな、
語尾は微笑みに包まれて全然しゃべってくれないけど、
「ああ、いい感じなのね」、って
明らかにわかるような、そういう感じってあるじゃないですか。

終わった恋をしっかり語るときはすみずみまできれいに語れるけど、
いま、まさに芽吹いている恋は、むにゃむにゃっと、ことば少なくなっちゃうのかも。


今はまだ終わった気があんまりしないし、
コロロ村を去る前にアイツらと最後に遊んだ写真を眺めてると、まだ胸の中でキュン死に警報発令中なのです。
In Kororo village④ In Kororo village② In Kororo village③ In Kororo village①

なので、"恋は終わったんだ"という気になったら、続きまた書きます(書き途中もある!)。

今はただ、おつかれさま。

2012年2月13日

潤いたいったらありゃしねぇ。

With ROBIN 今の乾季は、今までで最悪。
一ヶ月以上、雨が降らなくてカラカラでザラザラ。
洗濯も食器洗いも体を流すのも限界。
まさか井戸まで枯れたりしないだろか。

海行きたい。

2012年2月10日

異文化交流

シャッターの降りた深夜の薬局前でサトちゃんにくだを巻きたい夜の一つや二つ、誰にだって覚えがあります。

Club beer ウガンダ人とお酒を呑んでいる時の話です。


同僚とか生徒の家に遊びに行くと、よく酒を薦められる。
酒の場は大好きだけど、下戸だし、ローカル酒は強くて不味い。
けど、お誘いををプイと袖にするのは心意気に欠けるし、男がすたる。
ノブレス・オブリージュ(貴族の義務)とまでは言わないまでも、限りなくそれに近い心持ちはありましょう。
紳士たるもの、然るべきときに然るべき振る舞いが求められるのはごくごく当然のことです。
飲もうぜ!と言うのだから、襟を正してゴクリとやりたい。


そして、そこでの話題はきまって、スポーツ、政治、女という酒の肴の三羽烏。
日本で友人たちと飲み明かしている時の話題と大した違いはない。
スポーツが批評であり、政治がスキャンダルであり、女が体験談になるというところまで同じ。

特に恋愛話はみんな大好物。結局、最後はいつも異性の話になる。


「Taka、知ってるか?アルファベットの順番ってのは実は間違ってるんだよ!」
「何で?」
「だって、僕と彼女のイニシャルが遠いじゃんか!」
「・・・・」


「言っとくけど、僕らの愛はビクトリア湖(北海道とほぼ同じ面積)が干上がるその日まで続くぞ!」
「・・・・」


まぁ、愛すべきバカ達なのである。


ただこっちには全く浮いた話がないので、こちらから話題提供ができない。
そしていつもの「ウチの妹 or 娘 or 親戚をもらってけ」攻撃が始まる。

「いつになったら、Takaは嫁を作るんだ!」
「男のくせに料理して、洗濯して、あり得ないだろ!」
「よし、分かった。Takaは帰っていいから、妊娠させてから帰れ!」

合計特殊出生率5.9人(2011年)の国の男たちの口先はハンパない。上野千鶴子に全力で怒られかねない。
ひとしきりヤイヤイとなじられて、フーやれやれと汗をふいたら、また思い出したように「ホントにおまえは」と始まって取りつく島もない。牛の反芻みたいにして、結局4回くらい同じことを繰り返し言われる。 


あまりに悔しいので「昔は俺だって彼女いたさ!」なんて振られた彼女の話を始めたのが、失敗だった。
結局、出会いから別れまで延々と語らせられるハメに
そして、最後の一言。

「その娘、絶対Takaのこと待ってるぞ。俺には分かる。」

こっちも意識がトブくらいまで酔ってたので、
「そうか!そうだったのか!」という具合になり、勢いで数年ぶりに彼女にメール送信。
日本で友人たちと飲み明かしている時の行為と大した違いはない。


【異文化の他者の中に存在する「自分」を発見する】ってことが異文化交流という奴だと思うのだ。
酒の席のみならず、こっちでは幾多の場面でウガンダ人の中の「自分」と出会った。
もちろん慣習や価値観まで全てを分かり合えることはないし、彼らを自分と同一視するつもりはない。
ただ、全く違う文化の中で生きる彼らの中にも自分と同じ普遍性が存在する。
だからこそ分かり合える。それがウガンダで過ごした日々から学んだ事だ。


それにしても。

彼女からはいつ返信が来るのだろうか、サトちゃん。