ご存知の方もおられるかと思いますが、昨晩ウガンダでテロがありました。
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ウガンダ爆発74人死者、アル・カーイダ系か
【ヨハネスブルク=中西賢司】ウガンダの首都カンパラで11日に起きた爆発による死者は74人に増えた。ソマリアを拠点とする武装勢力アル・シャバブが初めて同国外で行ったテロとの見方が強い。
ウガンダ政府によると、事件は2人の自爆テロ犯の仕業とみられる。犯行声明は出ていないが、レストラン2軒で25分以内に相次いで爆発を起こす手口は、アル・シャバブが連携する国際テロ組織アル・カーイダと酷似している。3か所目の爆発があったとの情報もある。
アル・シャバブは、内戦が泥沼化するソマリア中南部を実効支配する。今年1月には、昨年末の米航空機爆破テロ未遂事件に関与したイエメンのアル・カーイダ系組織との連携を表明した。米欧からソマリア系住民を呼び寄せて軍事訓練を行っているとされ、今回の犯行に関与した可能性もある。
(2010年7月12日23時55分 読売新聞)
ソース元:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100712-OYT1T00893.htm
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テロが起きた昨晩は、同県の先輩隊員とコルピンでワールドカップ決勝戦を観戦してました。
一日遊んだ後での観戦だったので、二人で睡魔と戦いながら(先輩は途中完全に寝てた)のボンヤリ観戦だったけど、もしカンパラで観戦してたらと思うと。。。
犯行声明もまだ出されてないし、テロ情勢に明るいわけでもないので、何とも言えません。
身近な場所でテロが起こるって事に対しても、何とも言えません。
だからって「何も思うところがない」なんて平気で言える程、鈍感じゃありません。
新聞の写真は惨憺たるものだったし、ワールドカップ南ア大会@ウガンダの最後はテロで終わってしまったのだ。
テロ行為を弾劾するだけじゃ、もはや当たり前すぎて議論の枕にもならない。
かと言って、さして事情も知らない癖にやたら騒ぐ"パフォーマンスごっこ"も趣味じゃない。
でも、"遠い世界のどこかの出来事"として流すには近すぎる。
他人を幸福にしようとする人は疲れて見えるし、
自分のことしか考えられないのは神経質に見える。
そうなると、こういう場合「何も考えないこと」が最適解になるんだろか?
「とりあえず何とかやっていくこと」が方法論的に合理的な選択肢になるんかい?
昔読んだノベルト・ボルツは言ってます。
「問題は無知ではなくて混乱にあり、混乱を無知と取り違えることが、社会問題解決を紺案にする」
"何か"に対する事の本質は、それが正しいか否かではなく、"自分"が何を意思するかだと思うんです。それに教育の最終的目的は、混乱を統御できるような人間を作ることじゃなく、問題は無知ではなく混乱なのだということに気づくための機会を提供することだとも。
だから僕は、カンパラのテロを憂いつつ、明日のBuoyancyについての授業準備に追われてるのであります。僕は元気にやってます。
(ただ、爆破と同時にネット回線もやられたらしく、回線速度が激低下。。。。)