2012年5月28日

Celebrate

進路が決まりまして。

3月の終わりに帰国して、4月の終わりに進路が決まって、秋から働くのでした。


よく耳にする「協力隊経験者の日本社会復帰問題」について、個人的経験則から。

就職活動してたら、相手方は極端に二パターン。

①相手にされない
まず履歴書が通らない。通っても「結局、辞めるんでしょ?」という"自由人"という見方をされる。「一度日本社会からドロップアウトしたのに、何で戻って来るの?」っていう質問には、苦笑いだった。

②凄く相手にされる
ウガンダにいた頃からわざわざSkypeで面接してくれるところもあったり、面白いって言って高く買ってくれるところも多々あり。


まぁ、結局は個人の問題だけど。
高く評価されつつも上手く話せなかったと思うところはやっぱりダメだったし、なんとなくの気持ちの時はなんとなく落とされた。
”言葉だけじゃ通じない”ってのはウガンダの授業経験から学んだので、わざわざIllustratorで沿革作って売り込んだりもして、それは高く評価された。


ただ、どうしても苦手な質問があって。

「10年後の目標を聞かせて下さい」

まぁ、それは別に変わった質問でもなんでもなくて、普通はそこから定石なやりとりが始まるはず。



だけど、なんだか僕はとまどってしまった。


僕には、相手に語って満足してもらえるような将来の目標はない。

昔を思い出してみても、今こうしていられるのはその場の瞬発力と直感の賜物だし、学生時代にはまさか自分が数年後にウガンダ人相手にニュートン力学を教えてるなんて思ってもみなかった。
ウガンダに行ったのも"その時"に真剣に考えたことで、目標でも何でもなかった。


だからといってそれは勿論、日々無思考でいるということでもない。
当然自分が歩く道について日々考えながらも、やっぱりもって僕は、あさはかな僕たちの考える閉じた目標やゴールよりも、現実はもっと豊かで計り知れないものなんだっていう確信を常に持ち続けている。

僕のその思いはこんなにもハッキリと明確なんだと、先の質問に戸惑ってしまった自分から改めて知った。


定めた目標にしばられて途中で変わって行くことを放棄してしまうことのほうが、よっぽど無思考で無責任じゃないかと僕は思う。


とまぁ書き連ねつつ、たかが就職の面接でマジレスしちゃう自分はまだまだ若いなーとも思うわけで。


何せ、ここ連日ウガンダ生還&就職祝いでパーッと呑んでワーッとしてるのだ。
わしわし働く前に、人生に数度あるかないかのちやほやの渦で歓喜雀躍の体なのでした。
希望に満ちた明日よりも、とりあえず今夜の友だちとの楽しいお酒なのです。