2010年5月30日

ウガンダでビール

ある日の昼下がり。
お昼に豪快に食事を作った。そして、昼間っから乾杯。
案の定、NILE SPECIAL一本で酔っぱっぴーの世界に突入。

その後、市街地から少し離れたGAME(ショッピングセンターの名前)に行く事に。乗り合いタクシーで全力で眠るものの、未だ抜けぬよ、アルコール。

GAMEに着いてからATM機でお金を下ろそうとして、
4桁の暗証番号を押すも、間違いの表示が。

「おっかしいなー、確かに誕生日の0507だろー。」
と酔った勢いで押し続けること数回。


カードがATM機に吸い込まれてしまった。


暗証番号を何度も間違えると、セキュリティが作動するらしい。
しかも、暗証番号は銀行側から受け取った当初の番号から変更してなかったみたい。

酔いも冷めるし、財布も冷める。

この日を境に、赴任前にも関わらず同期への借金苦がスタートしたのだった。

ウガンダのビール

ウガンダは、ビールが美味い。
主流は、NILE SPECIALとClub。

アサヒ好きならNILE SPECIAL、麒麟好きならClubと言ったところか。気になる価格は、共に一本2000UGX(ウガンダシリング)。

2000UGXは¥換算で、約100円。
ちなみに1.5リットルの水が800UGX。

面白いのは、
ウガンダは標高1200m前後の高地なので、酔いが早く回るって事。
お酒好きだが極度の下戸という特性を持つ僕には、もう大変で。
ビン一本が分水嶺。

ただ、だいたい人生の大事なことは夜中2時くらいの上野の飲み屋で決まる
という酒飲み思想を持つ身としては、そりゃあ、やっぱり飲んでしまうわけだ。

2010年5月29日

友達からおおげさな宿題をもらった。

「ウガンダから見た日本についてどう思う?」

それ聞くの早くない?天下国家を語れと?
けど、ウガンダに来たばっかだから書ける事、青臭くないと書けないって事もあるよな。
若いってそういうもんだろ?

ま、暇なんだ。

一言二言で済まそうと思ったけど、フルスロットルで書くぞ。
おおげさに聞け。



日本についてどう思うか。
政治については分からん。経済についてもよく分からん。
経済が後退してくのがマズイのは分かるんだよ。
豊かさの実感って相対的な部分があるから、貧しくなっていくってのは辛そうじゃない。
『アルジャーノンに花束を』じゃないけど、昨日できた事が今日できないってのは辛いよな。
けど、小難しいインテリのオナニズムみたいな話を書くのは疲れる。
ウガンダと比較して気づく、そういう話ってのはちょいちょい小出しに書くよ。


そしたら、日本について書くことが全然ないな。

けどなんかね。
途上国とか海外出た途端に
「日本って~だよね」って急に日本語りするの好きじゃないんだよ。
それって、日本も途上国も自分に都合の良い一面的な見方しか見てないように感じちゃって。
一言で済む何かより、複雑な豊かさってあるじゃない?

「う~ん。よくわかんない」だとか、
「考え中です」とか、
「どうなんだろ?」とか、

スカッとしないところから、出汁って効いてくると思うんだ。


それに、その言説の通底には途上国と日本は違うっていう思想がある気がして。
僕は、ウガンダと日本ってそんなに違いはないって思うんだ。
細かく言えばそりゃあ違うけど、人に関してね。

どこいったって、ズルイ人、弱い人、スットコドッコイな人、優しい人ってのはいるし、
誰だって、人は変わらない。それを忘れたら、大事な何かを見落としちゃう気がして。



じゃあ、

「何も変わりませんよー、チャンチャン」

で終わりかって言うと、そうじゃないんだ。




決定的に『僕』は違う。

こっちで生活してると、

中学生の頃、何をするでもなく、
一緒に遠回りして話すだけで満足だったあの頃の気持ち、

久々にあの感覚を思い出すんだ。



あの頃は外の世界ってのはまだ全然広くて、
知らない事だらけだったんだ。
何でもじっっと見て、じっっと聞いて、いちいち面白がってた。


こっちの生活なんてまさにそうで。
こないだ生徒にワケ分からん「Fene」って食べ物を手渡されてさ。
分からないものを口にするって結構、ドキドキよ?
だから、よく噛んで食べたんだ。
したらさ、食べたことない味だけど、美味いのよ、これが。


市場行ったら、村人が何言ってるかなんて全然分からなくて。
だから、じっくり聞く。そうすりゃ、意味だって少しは分かる。
そうしてる内にアダ名でしっかり呼んでくれるようになるんだ。


あと、学校の通勤路にいる犬に萌えてみたり。
アイツの、ときどき上目遣いにこう、人の顔色をうかがってくるときなんて、どことなく『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーを彷彿とさせるんだ。


よく噛んで食べる、話す前によく聴く、撮る前によくみる。
世界を感じる解像度がこっちでは高まるんだ。


確かに、ウガンダだからそれが出来るんだって言えばそりゃそうかも。
けど、僕は外の問題を言いたいんじゃゃなくて、中の問題を言いたいんだ。

日本にいたって知らない事だらけだし、再発見が発見を上回ることだって随分ある。


上手いこと言えないけど、
人生ゲームで一番早くあがりを目指すってのもいいけど、
サイコロの凝った振り方を考えたり、
ゲームを進めながらのおしゃべりに楽しみを見つける、
って事かもしれない。



その感じ方は、日本にも持って帰りたいな。

みま君、2010年@コロロから見た日本についてはそんなとこだ。
日本について書くはずが、全く書いてないな。
今度日本の大球団、広島カープの先発陣の危機について熱く書くよ。




そうそう、海を持ってるってかなり大事だぞ、日本。
こっちはすっかり海欠乏症だ。帰ったらさ、海行こう。海。

2010年5月28日

散歩のための散歩②

更に、散歩。
その時、サトウキビの露店販売に遭遇。
ウガンダ人、特に子供はサトウキビをやたら食べる。自分の身の丈よりも長いサトウキビを器用にバリバリとかじる。

それを知っていたから、負けじとバリバリ。

バリバリ、、バリ、、、モショモショ、、、。

いつまでたっても繊維が噛み切れない。
コンブ的な我慢比べかと。
子供に噛み切れるんだからいけるだろうと思って必死にモショモショ。

モショモショ、、
ムシャムシャ、、
クシャクシャ、、

その時の同期の一言。

「それ食べるもんじゃなくて、吸うもんだよ」

その時、事件は起きた


右の写真の真ん中のおっちゃんに注目。
ビシッとこっちを指差し中。

ええ、この後おっちゃんに捕まりました。

おっちゃん: 「お前、何撮ってん?!」
  僕  : 「あー、えー、風景ッス」
おっちゃん: 「嘘こけ!」
  僕  : 「う、嘘じゃないッス」
おっちゃん: 「カメラよこせや!」


・・・・オワタ\(^o^)/


テンパって脳内オワタだらけ。
そこへ、スリッパを片手におばちゃん登場。
必死に言い訳を探す僕らの前で
おっちゃんの後頭部をスパーン!と一撃。

おばちゃん: (`Д´)ノ「お前、何いちゃもんつけてんじゃい?!」
おっちゃん: (-公- ;)「あー、えー、うー」
おばちゃん: ( ´益`)「こいつが迷惑かけてごめんねー。行っていいよー」

おばちゃんのおかげで、なんとか危機脱出。
おっちゃんも随分恐かったけど、おばちゃん迫力あり過ぎ。
アフリカにおいても「母は強し」という事か。

散歩のための散歩

ある日曜、同期と二人でカンパラパトロールに出掛けた。

趣味は何?と聞かれたら「チイ散歩」。歩くのが好きです。
ただ危ないので、i-podは聞かないし、無闇にカメラは出せないのが残念。
だけど、知らない街を歩くのはやっぱり楽しい。
それが、アフリカとくれば、そりゃあもう。



とか言って、無闇に街中をカメラでパチパチと。

2010年5月27日

マラリアンデスマッチ


マラリアには予防薬がある。それが、このCoartemとPanadol。
一週間に一度飲むのがPanadol、毎朝飲むのがCoartem。
隊員は二タイプを配布され、各自で選択。
もちろんPanadolの方が効き目は強い。
でも、何かとずぼらな僕はPanadolを選択。
ただ彼は「悪夢を見せる」という副作用で有名。
最初は笑ってたけど、、、、それについてはまた別の機会に。
                                  
                                そして、マラリア検査キットも配布されました。
これは血液からマラリアか否かを自分一人で判断できるもの。
ただ、こいつの厄介な点は『血が必要』という点。
太い針を指に刺して出血させ、採血しなくてはならない。
友人から「口先だけのノストラダメス」と呼ばれる事、20数年。
配布時にテストをさせられたのだが、何かと言い訳。
やっと雀の涙程の出血はしたものの、何かと言い訳。
結局、ギブアップして採血できず。
ようは元気なら良いと思うんですよね、元気なら。

アフリカの課題、マラリア

ウガンダは他のアフリカ諸国同様、病が深刻な社会問題になっている国。
よくある話だけど、アフリカが世界経済の発展から取り残されてしまったのは、彼らの能力が劣っているとか、勤勉でないといった理由では全くなく、地理的・環境的にアフリカという場所が問題の多いところだからだ。


ヨーロッパ人が、アメリカ大陸とアフリカ大陸に同じように移住したにも関わらず、何故アメリカのようにアフリカは発展しなかったのかというと、気候の差や病気の存在が大きかったと言われています。


マラリアもその深刻な感染病の一つ。
渡航前は、
「せっかくアフリカ行くんだから
 一回くらいマラリアンナイト記念にやっとくかー」
なんて、既に熱病発言してました。
実際、アフリカ派遣の相当数の隊員がマラリアに感染している。


ただ、意外と知らないマラリア話。
マラリアは、回数を重ねる内に体が慣れてくるものらしい。
一回目は一気に40度近くまで発熱し、死ぬほど辛い。
「感染初日は辛くて眠れなくて、
   2時間経ったと思ったら20分しか経ってなかった」(発病経験のある先輩談)


そして二回目、三回目と回数を重ねるごとに、発熱などの辛さは減少。
だから体に耐性ができていく、、、と思わせるのが奴の怖さ。
4、5回もかかると急な発熱などを伴なわずに、ポックり逝ってしまうらしい。
未だに毎年100~150万以上の死者を出し続ける死病である。
そのため、3回かかったら即『任短』(任期短縮の略、つまり強制帰国)。


だが、しかし。
だが、しかしだ。


それだけなら『まだ』いい。


奴の本当の恐ろしさは、
数回感染すると『種なし』になってしまうという事。
自分の坊やとは会っておきたいので、マラリアンナイトは中止する事にしました。

2010年5月26日

語学研修③

ルガンダ語の感想としては、日本語に発音が似てるからそこまで苦じゃない。
というのも、アルファベットを使用してほぼローマ字読みでOKだから。

「おはよう」は 「Wasuze otya?」ワスゼ・オチャ。
「ありがとう」は「Webale nyo」ウェバレ・ニョ。
「私は中国人ではありません」は「Sili mu china」シリ・ム・チャイナ。
「お金をくれとせがむのは嫌いです」は「Saagala kuddamu kunsaba sente」サーガラ・クッダム・クンサバ・センテ。



大学時代、フランス語特有の鼻を鳴らして喋る例のアレの発音が出来なくて、フランス語を挫折した身からすると、ローマ字読みは助かる。

帰国後、
「特技は何ですか?」と聞かれて
「ルガンダ語です」と答えたらモテるだろうか。

語学研修②

語学訓練でお世話になったのが、ウガンダの東大と呼ばれるマケレレ大学でルガンダ語の講師をしているMr.チリグワッチョ42歳、二人の子持ち。

部屋に来るなりルガンダ語を話し始め、僕らをあっという間に置いてけぼりにした実践派だ。 ただ言葉は頭で覚えるよりも体で覚えないと仕方ない。しかも語学訓練は日数にしてたった4日。

そういった事を考慮しての事だったんだろう。
落ち着いた物腰と僕らからの発話を促す授業に
「この人はデキるなー」と関心しきりだった。

んが、3日目にはあっさり30分遅刻。
そして、何事もなかったかのようにあっさり授業開始。
「この人はデキるなー」と関心しきりだった。

語学研修①

赴任前研修の一番の要は、語学訓練だ。
ウガンダは、英語、スワヒリ語が公用語という事になってるけど、その他に多数の現地語がある。この研修中に習うのはルガンダ語。

ウガンダの多数派を占めるブガンダ族が用いる言語で、1000万人以上の話者を持つ。他にもニョロ語、ルソガ語なんてのもあって、ルガンダをなまらせたような言葉もあれば、全く違う言語体系の言葉もある。

ただやっぱり首都を中心にルガンダ語が主流で、
ラジオなんかも大体がルガンダ語である(ような気がする)。

2010年5月25日

ウガンダドミ③

ドミから見た朝焼けがあまりに綺麗だったもんで。

ウガンダドミ②

ドミはドミ委員という各隊次から一人ずつ選出された自治会を元に、隊員間で自主的に管理運営を行ってます。
昔は一泊ごとにお金を徴収してたけど、
面倒になって年会費制度に移行。
そこから光熱費やらもろもろを賄うと。

早い話が、隊員であれば誰でも泊まれる憩いの場なのだ。

ウガンダドミ①

ウガンダのエンテベ空港に着いた後は、首都のカンパラの中心から少し離れたドミトリーへ。隊員は各自の赴任地に着任する前に、2週間の派遣前研修を首都カンパラで受けます。それまでは、このドミトリーでの生活。

ウガンダは協力隊現況派遣人数、世界一。
ちなみに現在116人派遣されてます。
2位がガーナとニジェールの87人。
3位がケニアの77人。(クロスロード5月号より)

ウガンダは治安も政府も安定してるし(注:アフリカ諸国の中では)、
過ごしやすい気候(標高が高いから朝晩は肌寒いくらい)、
人懐っこい国民性(もちろん人によるけど)、
っていう好条件なのが幸いして気づいたらこの人数に。

おかげで歴史が浅い割に、ドミには先輩達の残していった資料が膨大にある。
マンガ、小説、DVD、学習資料、、、etc。
特に本の充実が尋常じゃない。数だけならこの写真の倍以上。
早速、沢木耕太郎のノンフィクション物を数点拝借。

2010年5月24日

オシャレ泥棒

ウガンダ交通戦争



東アフリカの道路を走る車の8割以上が、極東島国車なのには、正直驚いた。
TOYO×A、NISS×N、HON×A、MAZ×A、ISU×U、HI×O…なんでもあるんじゃないかと。
それに「マタツ」と呼ばれる乗合いタクシーやトラックなんかには大抵、
「〜運送」「〜株式会社」「あなたの町の洗濯〜」なんかの日本語が平気で書かれてる。
笑ったのは「〜市水道局」の文字笑。


んだけど、発展国だけに案の定、道路事情最悪。
信号ない。交差点ノンストップ。車線なんて気にせず、ガンガン抜いてく。
こっちは怖くてなかなか渡れなかったのに、
現地人は慣れたもんで涼しい顔して渡って行く。

日本車が所狭しと並ぶ朝夕の通勤ラッシュは、
「ここは環八か・・・」ってツッコミたくなる程の渋滞。
それに、ほとんどが石原都知事の嫌いなディーゼル車。
だから、首都の大通りは本当に排気ガス臭い。
鼻毛、グングン伸びるんじゃないかと。

途上国の発展

ウガンダの首都カンパラで驚いたのは、ガソスタバイト時代に大好きだった日産ムラーノ(1stモデル)が颯爽と走ってて、i-phoneの広告が町中にあって、好物のRedblueがあるってこと。

出国前には友達に「ウガンダ人って槍持ってピョンピョン飛んでるんでしょ?」なんて言われたけど、GDP109/189位(2008年)のウガンダは発展真っ盛りです。

2010年5月23日

Welcome to Uganda



アフリカ初上陸。

未知の言葉、未知のにおい、未知の熱気。

感動、不安、緊張、興奮みたいな複雑な感情がごちゃ混ぜになって「うわー」しか言えなかった。

こういう時って体のどこかが動くんですよ。
胃のあたりかもしれないし、
心臓のへんかもしれない。

で、その動いたところに、僕の心ってものがあるんだなーなんて、気がつくんですよね。

それがいいんだよなぁー。

飛んでました



ドバイからも、エミレーツ航空。
ドバイからアフリカ大陸上空に入ると、地上の風景が砂漠化。茶一色。
その中で見かけた街は、北斗の圏の20XX年の都市そのもの。
エチオピアからウガンダ国内上空に入ると、地上の風景が緑地化。緑一色。
その中で見かけた街は、ド田舎そのもの。
Uganda'ground

ロード オブ ウガンダ


ウガンダへは、羽田⇒関空⇒ドバイ⇒エチオピア⇒ウガンダと飛んで行きます。計22時間。
時差もそれぞれだったりして、夜なんだか朝なんだか。

驚いたのは、エミレーツ航空とドバイ空港。
エミレーツ航空は、各シートに映画にテレビにラジオに音楽にゲームにと何でもあり、暇な暇なし。映画だけでも、世界中から500本はあった。
映画は、さまよう刃→ゼロの焦点→500日のサマー→モンスターインクを鑑賞。

「ぐるりのこと」でも思ったけど、木村多江がとんでもなくとてつもない。
言葉を発せずとも、まなざしだけで揺れる心を表現する女優。
勝手にタカデミー賞を授与。

Dubai International Airport
ドバイ空港には、現地時間で朝5時着。
にも関わらず、世界中のありとあらゆる人種の老若男女で賑わっていた。
さすが、世界の国際空港。動物園ならぬ、人類園。

2010年5月17日

はじめに

このblogを書くにあたって、
「できるだけ正直でありたい」
「客観的であるより主観的でありたい」と思ってます。

なので、国際協力を学びたい、協力隊の参考にしたい、読んでて合わない、という方は優しく「戻る」のボタンを押すことをお勧めします。
僕自身、他人ではないけど別人であろう未来の自分に「バナナが主食の国での、なんでもない日の元気な苦悩」を読んでもらいたいと思ってるので、自意識垂れ流しの日記です。

でも、どこかの誰かが間違って読んで、何かが伝わっちゃったらいいなーなんて。
途上国の貧困の悲しみだけじゃなく、バカ笑いの息づかいも伝えたいなーなんて。

だから、blogなんです。
活動同様、マイペースにのんびり書いてきます。
よろしくどうぞ。