2012年1月26日

そうだ、結婚しよう。⑥

後日。
結婚式当日のやり取りを取材するため、デイヴィッドの家に足を運んだ。そこにはもちろんノエリーンもいて、二人の娘のエスタ(1歳)と、レベッカ(0歳)もいた。子供たちの晴れ晴れとした笑い声に満たされた新婚の家は、なんだか幸福ってやつの正体を遠くからのぞいてるみたいな気持ちにさせられた。
そうだ、結婚しよう。⑱


そして、ひと通り結婚式でのアレやコレやを質問し終えた後、最後にずっと聞きたかった事を尋ねた。

「結婚についてどう思う?」

改めて口にするのは恥ずかしくて難しいかな、と先読みしていたら、彼は少し考えた後、ためらいもなく涼しい顔でゆっくりと言った。


そうだ、結婚しよう。① 「結婚は、『その人といつまでも一緒に』って感じる心の高揚なんだと思うんだ。それは単純で、俗っぽくて、些細なことで、ありきたりな事なんだけど」


 それは、全然背中に重い人生を背負っている感じのない、とても風通しが良くて、気分のゆったりとした結婚感だった。僕のように鼻息荒く結婚の意義を思い悩んでいる若輩ものにとって、色眼鏡がパリンと音を立てて割れるような一言。どれだけ自分の荷物を軽く思えたことか分からない。

 そう思えば、コントのようなウガンダ結婚式も理解できる。式に参加する前は「一生に一度の儀式」「人生史に刻まれる祝祭」なんて難しく考えていたけど、そこではそんな気負いはまるっきりお呼びじゃなかった。一時的に作られた非日常なんかじゃなくて、いつもずっと傍にあるようなウガンダの日常の陽気さ。意地だとか、試練だとかっていうのじゃない、単純で、俗っぽくて、些細なことで、ありきたり。一貫して式にあったのは、こっちまで笑顔になるような、赤ん坊や犬なんかとも共通しそうな無邪気さだった。




その時突然思った事があって、それをここに書こうと思う。
それは僕の意志や覚悟なんかとは全く関係ない、単なる実感だった。
とても気持ちが良くて、甘ったるくて、優しい実感だった。

ーー愛情をただただ育んでいくということ。

彼らの愛情の交換にゴールなんかはなくて、白黒つけるものなんかも何もなくて。
得られる愛情も、与える愛情もそんなものはなくて。
大きくなるものなんかじゃなくても、濃くなるようなものじゃなくても、少しずつ、少しずつ、大切にただひたすらに育み続けること。
そうやって代わり映えのない日常を楽しむこと。
そういうことだけが愛情の交換で、結婚ってやつなのかなと、そのときの僕は感じていた。

世界中を廻るギブ&テイクの中で、僕はこれからも結婚を損得で考えてしまうかもしれない。
どれだけ慎重であろうとしても、僕の怠惰や欲望は誰かを傷つけてしまうかもしれない。
そして何度も結婚にガッカリするだろう。

だから、いつまでも覚えておきたいと願った。
ウガンダで、彼らを通じて降りてきた優しい実感を。
いつまでも覚えておきたいと、僕は願っていた。

そうだ、結婚しよう。⑤

その後、新郎が父親にBride Price2万シルの聖書を3冊)を献上し、それに伴う様々な結納品を献上した。高級家具、牛の足、カンズー、ゴメス、石鹸、トマト、ピーマン、人参、ビール、ソーダ、調味料、etc.
そうだ、結婚しよう。⑰ そうだ、結婚しよう。⑭



そして、指輪の交換式。
そうだ、結婚しよう。⑯
新郎「僕は必ず、125日(Wedding Party)に君を迎えに来る。それまでどこへも行かずに、僕の事を待ち続けて下さい。希望を捨ててはいけません。僕はあなたを絶対に離さないから。」

首がチクチクするほど甘酸っぱい言葉に、襟足のあたりをぽりぽりかくばかり。





ムードよく夕暮れてきた中で、次は新郎新婦によるケーキ入刀。
そうだ、結婚しよう。⑮
 
 花火の暖色に照らされた小ぶりのケーキはさっくりと切られて会場中に振舞われ、その流れでみんなお待ちかねの夕食タイムへ。会場にはウガンダミュージックが豪快に鳴り始め、式の最中には絶対にいなかった人達まで会場になだれ込み、食べて踊っての宴会一色に。豪華な夕食と陽気な音楽を前にみんな一体となってポジティブな暴徒と化していたし、会場は熱気でほとんどオーブンみたいになっていた。帰り道ちょっと焦げてた人とかいたんじゃないだろうか。
 
 そして、明確な宣言もないまま式は閉幕した。

 帰りの車中。疲労と背中合わせの充実感の中で、新郎新婦の照れながら見つめ合う姿を思い返していた。
 そのまま目を閉じて膝をすりあわせたいような、甘い気分がした。

そうだ、結婚しよう。④

万事が万事この調子である。文化人類学者であれば「各文脈の裏に潜むブガンダ族の文化的・社会的背景についてうんぬん~」なんて知的好奇心がフル回転しそうなやり取り。ただ、日本のバラエティで育てられた若者からすると、みんなが「結婚式」という状況を利用した壮大なコントをしているようにしか見えない。大げさな身振り手振りで会場を沸かしている司会者の様子を見ると、近からずも遠からず。ウガンダ人の陽気さがそのまま濃縮、反映されているよう。
 また、会場での会話は全て現地語で進められるため、式の進行を完全に理解するには推理小説家の推理と天才詩人の空想力が必要。残念ながらその両方を持ち合わせていない僕は会話の中身を推しはかることを諦め、ただ式の流れに身を任せることにした。


式は新婦の家の子供たちの挨拶へと続く。幼い子供、若い女性、若い男性。
そうだ、結婚しよう。⑨ そうだ、結婚しよう。⑪ そうだ、結婚しよう。⑬



 そして流れでゲスト紹介とあいなり、司会者の口から僕の名前が告げられた。礼儀として立ち上がって周りに会釈をしたものの、司会者からの一言「前に来い」。人を押しのけ聴衆の前に立つと、マイクを手渡される。気づけばいつの間にかまわしを締められて土俵に上げられ、相撲を取らないと許されない状況になっている。仕方なく、僕の全力の現地語を駆使するも、
「私の名前はムビル(現地名)です。」
「教員として科学を教えています。」
「中国人ではなく、日本人です。」
 トホホとしか言いようのないセリフ。この外人の語学力の低さを察した司会者は、隣に寄ってきて現地語での祝福の言葉を耳打ち。僕は腹話術師の人形のように、その言葉をパクパクと語った。失笑と暖笑を頂戴したものの、顔から火が出て炎上し、そのままキャンプファイヤーが始まるくらいの勢いだった。(今後イントロダクションに出席する方は、必ず何か喋らされるので現地語の勉強にぬかりのなきよう)
そうだ、結婚しよう。⑩



両家からの挨拶が終わり、ついに新婦ノエリーンが家の奥から登場。 そうだ、結婚しよう。⑫ 連れ添って出てきた彼女の叔母が新郎を真ん中の座席から誘い出し、父親にこう紹介するのである。

「先日街を歩いていた時のことです。たまたま暴動に居合わせてしまい、警官隊による催涙ガスを浴びてしまいました。目から涙が止まらず、苦しんでいた私に優しくハンカチを手渡してくれたのが、彼なんです。彼はそんな、とても親切な人なんです。」
(物語の一部は完全にフィクションです)

客席を大声で手を叩いて笑わせる程、説得力のあるアグレッシブな新郎紹介。
かけた眼鏡だってずれ落ちないほうがおかしい。

そうだ、結婚しよう。③

イントロダクション当日。
 僕は新郎側の一員として出席。この際、出席者は伝統衣装を着用の上で出席する必要がある。男性は「カンズー」と呼ばれる長い裾をひく白衣、女性は「ゴメス」と呼ばれる彩り鮮やかな布で作られた衣装。
そうだ、結婚しよう。⑦


 午後1時。式は新郎の自宅から始まった。親類一同が会する中「スピーカー」と呼ばれる司会者の仕切りで、祝福の歌が歌われる。デイヴィッドの父が彼の肩に優しく手を置き、これからの彼の前途を祝福し、その後祖母の背に背負われるようにして、息子の門出が祝われた。
そうだ、結婚しよう。⑤ そうだ、結婚しよう。⑥

 外には新婦の家に向かうための数台の車が待機しているものの、そこでこぼれ落ちそうなくらい沢山の贈り物を積んだトラックが目を引いた。聞けば「男らしい所を見せるんだよ」との事。いわゆる『見栄』と言うもので、同性として心をうならされる。
そうだ、結婚しよう。⑧



 数台の車で行列をなして移動し、新婦の家に到着。新郎一団は新婦の家の前に綺麗に列をなして並ぶも、家の敷地内になかなか入ろうとはしない。しかも新婦側は何やら話し合いをしている様子で、外の様子を見ようともしない。更に彼らは話し合いを打ち切り、帰宅の準備まで始める始末(!)。

(そこからのやり取りはダイジェストで)

新郎側の司会者(以下、郎) ちょっと待ってください!
新婦側の司会者(以下、婦) 誰だ?何の用だ?
郎  話があるんです!
ーーー新婦側の女性数人がこちらに寄ってきて、胸に花のワッペンを全員に着けてまわる。
婦  彼らの様子はどうだった?
女性 彼らは全員病気にかかっていましたが、ワクチンを打ったのでもう大丈夫です。ただ、一人だけ重病の方がいますが・・・。
婦  その病気は何だ?
女性 愛の病です。
(会場爆笑)
婦  まぁ、いい。ワクチンを打ったのならさっさと入れ。
ーーー新郎一団は座席の前まで案内される。
婦  さて、お前たちに質問がある。ここには三匹の虫がいる。一匹目は立っている者を噛む。二匹目は座っている者を噛む。三匹目は寝ている者を噛む。お前達はこの中からどの虫を選ぶ?
郎  では、二匹目を下さい。
婦  よし。受け取った後、そこに座りたまえ。
(解説:実際にそんな虫は会場には存在しない。ここでは新郎側が『たとえ、虫に噛まれてもかまわないから、席に座らせてほしい』という度胸を示しつつ着席の許可を得る、交渉の一幕。)

 そして新郎のデイヴィッドは真ん中の目立たない席につき、主賓の席は空席のまま。聞けば「始めは新婦側の家族には、新郎が誰かはあえて教えないんだ。その方がサスペンスがあって面白いだろ」とのこと。

そうだ、結婚しよう。②

ある日、同僚から結婚式の招待状を渡された。
 ウガンダの結婚式への好奇心だけでなく、前述の結婚への懐疑心もあって僕は参加の意思を彼に伝えた。

そうだ、結婚しよう。②  新郎は、僕の活動先の学校で理科実験助手として働くデイヴィッド(30歳)。ホットミルクみたいにまろやかな物腰と人懐っこい笑顔が素敵な、公私に渡って仲の良い親友だ。新婦は同じ学校で図書室司書として働くノエリーン(29歳)。
 二人は2009年の暮れに出会い、翌年に交際が始まり、2011年の11月に結婚式を迎えるというスピード婚。彼女曰く「付き合い始めた時から、ずっと彼は結婚のプロポーズをしてくれていたわ」と言うのだから、「女の子は花なんだから、男は草食系でいいんだ」と言い訳ばかりしてる♂としては、彼の積極性に頭が下がる。




 ウガンダにおいて(特にウガンダで多数派を占めるブガンダ族、かつクリスチャンの場合)、結婚式とは2つの形態を意味する。1つは新婦の実家に新郎側が訪れ、出席者の前で結納の儀式が行なわれるIntroduction。そして日本でも馴染み深い、教会で結婚の誓いを立てるWedding party。今回の記事はIntroductionについて(残念ながらWedding partyには日程が合わず、欠席)。

 Introductionを催すには、いくつかの手順が必要となる。まず、式の日程や工程の確認のため、新郎は新婦の家へ出向いて両親と話し合いの場を開かなくてはならない。ただ、公式にはIntroductionが「初顔合わせ」を意味するため、この訪問では最小限の出席者と簡潔な話し合いで終始しなくてはならない。そこでの重要な議題の一つが、Bride Priceと呼ばれる結納金について。もし新郎が新婦の両親が呈示するこのお金を用意できない場合、男性は彼女を嫁として家に迎えることができない。実際の現金を献上する場合もあるそうだが、そのほとんどがその金額に見合った代替物を送るそうだ(よく耳にするのは、家畜の牛)。


そうだ、結婚しよう。④  そして、2枚の婚姻届を用意する。1枚目は、ブガンダ族の王であるカバカ王からの許可を証明する婚姻届。ウガンダでは国全体を治める行政府とは別に、各部族の王を頂点とする王国が存在し、強い影響力を有している。ウガンダでの結婚の際には、日本が役所に婚姻届を提出するように王国に婚姻届を提出することが慣習となっている。2枚目は、新婦の両親からの結婚の許可を証明する婚姻届。
 
 また、式にはTying Ringと呼ばれる婚約指輪も必要となる。これは式中に新郎新婦間で交換されるもので、教会での宣誓の際に用いられる結婚指輪とは別に用意しなくてはならない。 
 
 もちろんそれ以外にも招待状の作成から会場&食事準備、その全てに伴うお金の用意など、結婚式への道のりはウガンダでも随分遠い。
 
 そして、ウガンダでもご祝儀の習慣はしっかりある。ここでは「招待状を受け取る事」と「ご祝儀を渡す事」は同義であるらしく、招待状を受け取ってボンヤリしていた僕は、別の同僚から注意されて慌ててその場で心付けを渡した(5万シル=約1700円)。

そうだ、結婚しよう。①

そうだ、結婚しよう。③

「ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である」(アメリカの諺)
「独身者とは妻を見つけないことに成功した男である」  (アンドレ・プレヴォー)
「恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる」  (リヒテンベルグ)
「三週間研究し合い、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、三十年間我慢し合う。」 (テーヌ)

 洋の東西を問わず、結婚にまつわるネガティブな話は数多く耳にする。子供時代、酒に酔ったおじさんは何かと結婚にまつわる愚痴と苦労を話していた記憶がある。
 そして近年の『婚活ブーム』だ。僕にはそれが受験や就職のように目標を掲げて他人と点数を競う活動のように聞こえてしまい、結婚への不信感が増してしまう。『結婚』という自由を剥奪された抑圧の世界から、某ロッカーばりに暑苦しくシャウトしながら盗んだバイクで走り出したくなってしまう。
 一方で、親しい友人の結婚報告を聞くたびに、言葉にならない焦燥感で息が詰まりそうになる。大人になればなるほど、愛情とは理性から切り離された独立機関だということが実感としてよく分かる。

2012年1月20日

good 朝

sunrise
ラジオ体操して、食パンとコーヒー詰め込んで、バッチコーイな朝。


What A Wonderful World②

今、すごく自分のことだけ考えて、PCの前でうなって超長文書いてたら、友だちがやってきた。

その友だち曰く「用はないけど、挨拶がしたい」。
相変わらずバカっぽいこと喋るので、こっちも負けずとアホっぽいこと喋って、
アハハと笑って、帰って行った。


彼に限らず、ここでは友だちがひっきりなしに来る。
「いつでも来ていいよ」って言ってるとは言え、遠慮なく。
その無遠慮さに文句言いつつ、顔はニヤけるし、帰られると寂しい。
What A Wonderful World① What A Wonderful World② What A Wonderful World③ What A Wonderful World④ What A Wonderful World⑤ What A Wonderful World⑥ What A Wonderful World⑦ What A Wonderful World⑨ What A Wonderful World⑩ What A Wonderful World⑧


そして、もうそれが答え。
「弱さ」を否定して「強さ」につくりかえようとするんじゃなくて、
「弱さ」に居直るんでもなくて、
「弱さ」は「弱さ」としてそのまま肯定的に承認すること。
そして 「弱さ」の意味を何度も問いて、それをハガネのような「弱さ」にさらにつくりあげること。
そして自分を探さないで他者を探すってこと。
はい、これ結論。



なんか上手いこと書いて、自分のことばっか考えて「俺は強くなった!」っていう最もヤらしい傲慢無知で噴飯者な文章書き上げそうだった。

その文は、あまりに野暮ったいうえに恥ずかしいので、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てました。
さんざん取り組んだあげくそれをまるごと削除するというのは、苦悩する陶芸家みたいでよいですね。
数時間がちりになってしまったけど、人生ってだいたいそういうものだ。

んで、くたびれちゃったのでウガンダで学んだ事は箇条書き。


「相手の心に立ち入らず、葛藤をできる限り避け減らす」ってのは世の中を渡ってく処世術としては当然いいこと。だけど時と場合によって、思う存分「相手の心に立ち入」り、避けられない「葛藤」なら徹底的に粉砕させるぞ!、という超級の<やさしさ>の関係を生きてください、と自分には言っておきたい。そして、そんなことできるはずないじゃないか、とやるまえから諦めないでくださいとも。

ユニークさを忘れない。ここは凄くウガンダ人に影響受けた。
自分で言うのもアレだけど、こっち来て書く文章が凄く軽くなった気がする。発言も。
自慢じゃないけど「空気読まずに目先の笑いを取りに行く」事に関してはその辺の中高生と変わらない感じのレベルになってしまった。
(本人と致しましては「空気読めない」じゃなくて「空気読んだ上でそれでも言う」)

さっき洗った白旗になんか、色塗って海賊旗にしちゃうおうぜって感じ。



んで、なんとなく笑えて、なんとなく気が晴れて、外にでも出ようって気になれば、もうそれでいい。



あぁ!こんな事書いてたら、村の友だちと無性に話したくなった!
これだから自意識系日記は嫌だ。考えが悩みに変わっちゃう。もう書かない。
「俺の方が深く考えてるぞ」っていう優越感ゲームはさっさと降りて、パソコンも閉じて、夕飯の野菜を買いに村に出かけてきます。そして子どもを追いかけ回してきます。
それでは、また。

What A Wonderful World①

結局。
これからずっと問われ続けるのは
「何でアフリカ行きたかったんですか?」
って話だと思うのだ。

そりゃ今までだって何度となく聞かれたけど、相手によって返答はまちまち。
「好奇心」「国際派として」「自分を試す」「むしろ呼ばれた」「毎日バナナ食べたい」...etc
飲みの場だったら可笑しく語るし、好きな子にだったら魅力的に語るし、仕事の場だったら論理的に語る。
まぁどれも嘘ではないけど、相手のために語るので深い本音はちょっと誤魔化す。


けど、自分宛にだったらしっかり書ける気がする。
だし、今しか書けない気がする。
から、頑張って書いてみよう。




「生きてくタフさ」が欲しかった。




来る前に考えてた事を言葉にするなら、一番近い。
「貧困国まで行って、結局、自分の事か!」って怒られそうだけど、その通りなんだから平謝りするしかない。


来る前。
僕は、就活で失敗して大学をダブった。
反省としては「やりたい事がやりたい」という感情で鼻息が荒かったからだ。
「僕がこんなにアナタを好きなんだから、アナタが僕を好きにならないはずがないじゃないですか!」
というロジックで就職しようとしてたのだから、やれやれだ。
しかも、インターンで声をかけてもらったのを蹴って、1社しか受けなかったのだから、やれやれやれやれだ。


後日、親身にしてくれる先輩に諭された。
「お前のために仕事があるわけじゃなく、仕事のためにお前が何ができるかが大事なんだ」
コペルニクス的転回とはまさにこのこと。
それは目からウロコもぱらぱら落ちようというものです。


まぁ、何がダメだったかは確認できたけど、後悔してるかと言えばそんなに。
本気でやったからこそ得るモノはあったし、本気で落ちたからこそ見える景色もあり。
決して健康な人間が悪いわけではないけど、時にその健全さが鈍感さを伴って、 弱い人を無意識的に追い詰めてしまうこともあるのだと気付いた。
ロジックという言葉の意味を知った時は僥倖だった。
完全に黒歴史だけど。
まぁそういう負の思い出は、胸の奥の箱にパタンと大事にしまっておきたい。






じゃあ、もう一回進路決めようという事になり。
けど、あんまり自分のできる事なんてないわけで、
じゃあ「自分のできる事が増やせそうな場所」に進もうと思ったのだ。

そこで協力隊、アフリカに行きたかったのでした。

「自分のために国際援助?」とツッコまれるけど、「貧しい人を助ける」って動機だけなのも疑問。
どんなに「南」の国々の調査なり視察を重ねてパスポートが訪問国のスタンプで埋め尽くされても、何も学んでいないことだってあると思う。相手国や相手の人々をもっぱら援助や調査の対象としてしか見ないからだ。
自分の生きる足元に対する疑問ないし問題の発見からじゃないと、どうも胡散臭くて無責任じゃないか。
安易な善意はときとして無知よりもはるかにたちが悪い。
「出会ってしまった友だちが困ってるから、なんとかしたい」って思いだってバカにできたもんじゃない。
(その実、人生かけて国際援助の仕事に従事する人も現場にはしっかりいるので、悪しからず)

ただ。
友だちをなぐさめるだけじゃなく、なにか力になってやりたいと思うなら、なんにもできないやつのままじゃダメなのだ。

だから、この環境は自分のできる事を増やし続けなくちゃいけない場所だと思うし、そう願って来たのでした。
「自分探し」ならぬ「自分づくり」のつもりでウガンダに来たのでした。





はい。
一つ目の理由終わり。

あー、これは長くなる。

長文と他人の自意識に興味ない人は、ここで優しく「閉じる」のボタンを押すことをお薦めします。




実務的にできることを増やすだけだったら、別にアフリカじゃなくてもいい。
ただ、実務だけ完璧なんて「1万円札しか入ってない財布」みたいで嫌じゃないか。
もっと広い意味で「生きるタフさ」を学びたかった。

「電気も水道もろくにないところでマズイ飯食って生き延びれば、日本でならドヤ街でも耐えられる」
っていう物理的タフさはもちろん身につけたかった。
けど、やっぱり気持ちが折れないタフさ、精神的なタフさが欲しかったのだ。

根はテキトーだし、ぼんやり生きてるつもりだけど、たまに弩級に落ちる時もある。
目の前にあってどうにでもできそうなのに、足すこともできなければ引くこともできない、
まるで六面そろったルービックキューブみたいな、手の出しようのない完璧な悲しみを前にした時とか。
前にも書いたけど、僕はそこでだいたい"放棄"を選んでしまう。
でもそこで、白旗をあげる気にはなれなくて「そんな旗、洗濯しとけばいいさ」なんて流してる。

the laundry


本音を書けば、
それでいて言い表しようのない胸の内は「ただ呑み込むしかない」と思ってる。
それは雪みたいに降り積もって胸を冷やすのだ。
わざわざ自分で降らしてたら世話ねえよって話。
結局ぐうの音も出なくて耳まで赤くしながら、誰も見ていないところで雪かきしてる。
呑み込む事になれているならなおさらだし、何しろそれが一番てっとりばやい。

早い話が溜め込むのです。考え込むのです。
もちろん死ぬこたないけど、生きてくには厄介だなーと思ってた。
そんなこんなで、タフになりたいみたいな願望があり。

それを学びたいと思ったのが、もう一つの理由。
貧困国と呼ばれるところだったら、現地の人はタフなんだろーと思って。それをマネたいと思って。

ただ、「彼らは貧しくても心がキレイだ」みたいな、自分の視点を放棄して現地の人をただ賛美したりするのは好きじゃないし、
自分の怠惰へのスケープゴートとして現地人を「無能」だと貶める感じも嫌で、
決まりきった生ぬるい定型句言って、でも実際はただ思考停止してるだけみたいのもウンザリだし、
「世の中何もかもヤッツケないと気がすまない!」みたいな、全てを批判したがる若い人みたいなのも苦手で。


拾って、手にとって、しみじみ見て、口に入れて、大事にしまって、また出して、匂いを嗅いで、撫でて、温めてみたいに、長いことずっとそばにいることで分かること、見えることってあると思ったのだ。





そういう事で、僕の問題は「生きてくタフさ」を身につけることだったのでした。

タライに溜めた洗濯物を足で踏みつけてる時
授業で生徒に運動方程式の問題を解かせてる時
長距離バスの移動中に流れてく風景を眺めてる時
どう頑張っても寝れなくて一人でお酒を飲んでる時

思い出しては、思いふけってた。

「バカの長考、休むに似たり」なんて言葉があるけど、ありあまる時間があるんだから仕方ない。
何も考えない結果「帰国した途端、出国前の自分に戻りました」じゃ、日本国民に申し訳ない。

自分で考えることは、怠けちゃいけない。
ブログのタイトルからして、そういうスタンスだ。



ものぐさという名のやんごとなき事情から更新がポイとうっちゃられ続けたのは、怠けてる証拠なんだけど。

2012年1月11日

ねむねむの国での残り

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくです。
A Happy New Year!
昨年はまるまるウガンダに居続けたけど、今年は3月に帰国。
最後の活動をビシッとまとめていこうと思います。

あと、地味なことをコツコツやります。
よく言うんですけどね、
「毎日しっかり寝て、しっかり食って、
 人と仲よくしてるやつは、恐ろしいぞ」なんです。
いい年になってから、そういうことがわかりました。
恐ろしいやつになりたいと思います。



それと、ここのブログの方向性もバシッと変えます。
ウガンダであった面白い話を書いてくって方向だったのですが、
もっと自意識タレ流しの主観バシバシ書きます。

正直、読者としてはキライな方向。
せめて読んでくれる人が読んだ時間をかけた分だけの価値があるような事を書いていってるつもり(?)だったけど、これからの自分のために「何をして」、「どう思ったか」をまとめたい。

自意識日記は影で書いてたのだけど、やっぱりどうして人の目にさらした方が論理とか表現とかに気を使って、今後人に話せるネタとして通用するモノになると思ったわけで。


サクサク書くけど、ダラダラ書く。


そうなると、世のしがらみとかに差し障りがある事もあるかもしれない。
けど、世のしがらみが蜘蛛の巣のようなものであるならば、われわれは何だかねばねばしたそのハンモックの上で、ごろりとくつろぐ術を身につけなくてはならないのである。
そうなのである。






zzz ぐーぐー。




そんなこんなでグーグー寝続けて、
目がまだ数字の「3」のままな気がする。
あと3ヶ月、ここもちゃんときりっと起きなければ!