2010年10月27日

彼と彼女とPTC③

Students of Uganda②
ここでは「PTCとは何か」、PTC全般に関わる概論について改めて述べてみよう。

まず、PTCとはPrimary Teachers’ Collegeの略称で、小学校教員養成学校と和訳される。
TTC(Teachers’ Training College)と呼ぶ現地の人もいる。

PTCはその名の通り、主としてPrimary Schoolの教員を目指す生徒たちのための教育活動が行なわれていて、これをPre-serviceという。PTCはウガンダ全国に47校あり、その内45校がGovernment系Public PTC、内23校がCore PTC、残り22校がNon-Core PTCである。Core PTCとは、地域の現職小学校教員の再教育と資格取得をPre-serviceと並行して行っているPTCのことで、これをPre-serviceに対して、In-serviceという。
(In-serviceは、日本で幻となった教員免許更新制と思ってもらっていい。)


生徒は、Secondary Schoolの4年生を卒業したOrdinaryレベル資格取得の学生(17歳以上)が入学できる。
しかし、小学校の早期入学、転職や小中学校での落第などによって実際の生徒の年齢層は様々で、教職員より年上の生徒も少なくない。


例えばうちの学校は18歳から35歳まで、平均年齢は20代半ばというのが実情だ。
自然と『年上』に対して授業をするというキマづい事態も発生する。

想像してみてほしい。
僕の立場を日本に置き換えてみれば、
『日本の高校に、日本語が片言の黒人の中学生が理科を教えに来るようなもの』なのだ。
まぁ授業に関する苦労話ホニャララは、次の④で書きます。



さて、ここからはPTCの問題点を箇条書きに。


PTCを巡る問題点①
『勉強のできる学生はPTCに来ない』

Secondary 4年生の進路希望調査によれば、小学校教員の給料が安いためにPTCに対する人気は低く、教員になりたいと思っている学生は少ないようだ(下図参照)。
Uganda education system②
例えば、
国家試験である前期中等学校卒業資格試験UCE、それをパスした学生の進路希望はUniversity進学を見越したAdvancedレベルのSecondary 5~6年生(高校から大学初歩レベルに相当)が最も多く、技術学校や職業訓練校など各種学校と並んでPTCが第一志望となることはほとんどない。
したがって、UCE の試験結果の良し悪しに左右されて入学する校種がほぼ決定されてしまうため、PTCの生徒たちは必ずしも小学校教員になることを全面的に希望しているわけでもないのだ。
これが、学習に対するモチベーションはもちろんのこと、PTCにおける落第率や国家試験の合格率、小学校教員や初等教育の質にも大きく影響している。
加えて、PTCの卒業試験に当たる国家試験をパスすると、希望者はSecondary Advancedレベルに復学できる。結局、勉強のできる学生は小学校教員にはならずに大学に進学してしまうという仕組みなのだ。



PTCを巡る問題点②
『金銭的理由で消極的進学者がPTCには多い』

ところで、Public PTCの維持運営に係る経費は、全てウガンダ政府から、つまり税金から捻出されている。
それらは、生徒数及び日毎の計算により、各学校にUPE Fund (Capitation Grant)として支払われている。
よって、生徒は授業料を納入する義務がない。またPTC は全寮制であるため、その寄宿料支払いや公共料金、ポショ豆やチャイなどの食事代も無料となる。ただし、勉学の際の教材購入費などは自己負担、またRepeater (再履修者)の授業料は有料となる。

上記の"生徒の個人負担が少ない"というのは、PTC進学を『希望していない』消極的進学者(「小学校教員なんてなりたかないけど、安いからとりあえず行っとくかー」的な生徒達)を集める一因になっているのは否めない。



PTCを巡る問題点③
『小学校教師の給料はバカ安い』

ここで、ウガンダ小学校教員の実例を挙げてみる。
ウガンダのPrimary Schoolの教師の給料は月に10万UGX(2004)、およそ6000円である。確かに日本と比して物価は安いが、生活をするためにこの給料では非常に少ない。お金が足りず生活に困っている教師は、副業として別の職をもって働くことが多い。日本の公務員法では禁止されているが、ウガンダにはそのような法律は存在しない。
特に、オウィノマーケットというウガンダで最も大きなマーケットがカンパラ中心部にあるのだが、ここにいる商売人のほとんどは本職が教師だという。オウィノと言えば、非常に危険で治安が悪いマーケットとして有名で、盗難などは日常茶飯事のような場所だ。それだけ、教師を含めて貧しい人々が多いということである。
このような状況のため、教師という職業に就きながらも教育への重きはさておき、自らの生活のために副業で忙しく、その教師の質及び教育の質は徐々に低下していくのである。



PTCを巡る問題点④
『小学校教師の社会的地位はずいぶん低い』

現実に、ウガンダでは小学校教員の社会的地位はかなり低い。
"小学校教師"の職種で活動している友人の隊員は、地元住民に「なんでわざわざ小学校なんかで働いてるんだ?」と言って中学校教員への転職を勧められたそう笑。
初等教育の無料化を背景に「小学校なんて貧乏人のバカでも行ける学校」ってのが、ウガンダ人の初等教育に対する正直な認識だと思う。



PTCを巡る問題点⑤
『教育に対する予算配分が低く、教員への待遇が悪い』

ウガンダにおける教育の問題点は、基本的に予算の少なさや整備されていない教育システムのために、教職員の待遇の悪化、給料支給の遅滞や未払いを招いている点だ。
そこから生じてしまう教職員の仕事に対する意欲の低下、教育の質の低下が問題となる。
またそれを背景に、教職員という職業への敬遠による教師数の絶対的不足をも引き起こす。
そうして、教育の質がまた低下して、、、、という悪循環に陥るのだ。




長々とコリコリ書いてしまったけど、結局上記の5点は同じ事を言ってるに過ぎません。

早い話が、どうしようもない。

「PTCを巡るこの現状に対してどう思いますか?」と聞かれれば、

「でも僕は負けずに、現場からウガンダの教育を変えてやります!」なんて偽善ぶりたくないし、
「いくら現場で努力したって、全体から見りゃ何も変わらんのです」なんて偽悪ぶりたくもない。

これはこれで、ただの事実。「へー」の一言で終わりなのです。

「実は地球ってクルクル自転してるんです。どう思いますか?」なんて聞かれても
「へー」としか言いようがないじゃないか。

過度に悲観する必要はないのです。はい。


「この現状認識の下での、活動に対するスタンスは?」と聞かれれば言いたいことはモリモリあるのだけど、それは鼻血でグラフティが描けるくらいテンションが高い時に書きます。


何にせよ。
ちょっと大きな話が続いたので、次はもっと小さな話。

2010年10月22日

彼と彼女とPTC②

Students of Uganda①

教育制度は1992年「ウガンダ教育白書」で大幅な改革を発表し、7.4.2.3制から8.3.2.3制への移行を提唱したが、未だ進捗はみられない。

現在のところ、一般的に6歳入学で7年間の初等教育(P1~P7、Primary School)を受け、
初等教育卒業資格認定の国家試験 PLE(Primary Leaving Examination)を受ける。
毎年11月上旬に行なわれるこの試験をパスするには、4科目(算数・英語・社会・理科)の
全科目において合格する必要がある。(ちなみに、近年の合格率は全国平均で80%弱。)


PLEの合格者が4年間の前期中等教育(S1~S4、Secondary School Ordinary Level)に進み、
前期終了を認定する国家試験 UCE(Uganda Certificate of Education)に合格すると、
2年間の後期中等教育(S5~S6、Secondary School Advanced Level)に進むことができる。


さらに後期終了を認定する国家試験 UACE(Uganda Certificate of Education)に合格すると、
大学(University)に進学することができる。
また、前期中等教育に並行して3年間の技術訓練学校(Practical Course)、後期中等教育に並行して2年間の技術専門学校(Technical School)、家政学校(Home Management School)、職業訓練学校(Vocational Training Institute)、商業学校(Business School)などが存在する。


同様に、大学と並行して、
各種単科大学(技術大学:Uganda Technical College、商業大学:Uganda Commercial College、中等教育教員養成学校:National Teachers' College、医療学校:Medical School)などの高等教育機関に進学できる。


ウガンダ教育制度全体から俯瞰すると、僕が勤務するPTCはこんな位置なのだ。
Uganda education system












教育制度の流れとしては、バランス良く上手く整備されているんじゃないかと。
ウガンダは東アフリカの中でも、教育に強い方だと聞いてるし。(ウガ人からの伝聞なので信憑性は謎。)

ただ。
もちろんそこは途上国、ミクロな点では問題は累々としているのだ。
例えば、日本と違って小中高は卒業試験をパスしないと卒業できないってのは興味深いけど、その卒業試験は"トンデモ"な内容だったりする。(それについては改めていつか書きます。)


次は、PTCの実情について赤裸々に。

2010年10月21日

彼と彼女とPTC①

せっかく理数科教師として派遣されているので、
たまには大きな話"ウガンダの教育事情"について書いてみるのだ。
Children of Uganda②

ウガンダは、1962年に英国の保護領から独立。
ウガンダ独立時点での教育制度は、1922年に建築学の最初の講義を開始したマケレレ大学(ウガンダのみならず、東アフリカの"東大"的存在の大学)を頂点とし、5千以上の小学校、260の中学校、20の高等学校、その他アジア系、ヨーロッパ系の学校も擁し、アフリカ諸国の中で最も進んだ教育制度だったそうだ。


昔のウガンダは、本当に発展した国だったらしい。
緑豊かで、食料豊富、教育充実、都市も綺麗で国民温和。
前述した柏田さんが初めてウガンダ入りした1965年当時は、
本人曰く「日本より発展している」ように感じたらしい。

「第二次大戦中、ウガンダのカンパラにイギリスの首都機能を一時的に移転する計画があった」とか、「アフリカの真珠」の通り名は伊達ではない。





時は流れ。栄枯盛衰。盛者必衰。

『人食い』の悪名を持つアミン大統領在位中、国内の混乱や経済困難によりウガンダは荒廃。
もちろん教育も一気に後退。

まず、小学校への就学率が激減。(もちろん、その先の高等学校への進学率も激減。)
さらにPrimary School(小学校)における落第率の高さ、女子の就学率の低さ、教員のレベルの低下なども深刻な社会問題となる。


現ムセベニ大統領政権は「国造りの基本は教育にある」として、1997年より初等教育無料化政策UPE(Universal Primary Education)を実施中だ。この政策は、一家族に付き4人目までは児童の教育費を無料化し、保護者の負担を軽減することにより就学率を高めようというもの。
児童数は96年に270万人であったが、97年には530万人になり、現在では全国民の3分の1である約800万人の児童がPrimary Schoolに通っている。

これにより、就学率は80年代が50%であったのに対し、現在では141%にまで達している。

・・・

この、どう見てもギャグにしか見えない"就学率141%"というデタラメな数字。

これは落第率の高さや後述するPLE(Primary Leaving Examination、小学校卒業資格取得試験)不合格者、就学年齢以前に入学することなどが原因として考えられる。

あるPrimary SchoolのP1クラス(小学校1年生クラス)で実際に調査したところ、5歳から11歳までの児童が一つのクラスに在籍していた。

また、教師数は4万4千人(1996年)から11万人(2000年)に増加し、公立小学校数も約500校(1996年)から約12500校(2000年)に増加している。その後、現在まで比例するようにその数は増加の一途を辿っている。


全国民の3分の1が小学生”ってのも、国民絶賛減少中の国民からすると驚異的数字だ。
実際、ウガンダではそこら中に収穫したてのじゃがいもみたいなのがコロコロ走りまわってる。

Children of Uganda①

2010年10月15日

チガンダネームで呼ばれて

Students
ウガンダには"チガンダネーム"と言う現地名があります。
チガンダネームの文化は、正確にはブガンダ族特有のものらしいけど、ウガンダではブガンダ族が最大勢力なので(ブガンダ族の族言語であるルガンダがウガンダの公用語なのはそのため)、ウガンダ国内どこでも通用する。

また、ウガンダにはチガンダネームや部族とは別に"クラン"という、日本でいうところの"氏"や"屋号"にあたるものもあります。こっちではそれがかなり濃い繋がりを意味し「政治・政党よりも強い結束があるんだ!」と言うウガ人もいる位。

そんなクランはチガンダネームによって、決まっています。
(クランによって使えるチガンダネームが決まっている?)
そして各クランには、犬や猿なんかの動物の意味が込められているのです。



そんなウガンダでの名前について。

初登校した日の校長室。
Mr.チョンドが、僕の名前にイチャモンをつけたのが事の発端。

ちなみに僕の苗字はザ・日本人"タカハシ"。下の名前は凄く単純"ジュン"。
英語で6月を発音できるくせに、何故か"Jun"が言いづらいと文句を言うので、呼び名は苗字で固定された。しかも、"タカ"で固定。

タカハシで生まれて二十数年、人から"タカ"と呼ばれた事は一度もない。
しかも、公式の場では"Mr.タカ"と呼ばれる始末。

うだつの上がらない場末のマジシャンみたいなウサン臭い呼び名に、遺憾の意を表明したのだけど、権力には勝てずあっさり承諾。




それから、2週間後の職員室。
給食のポショ豆と同僚とのお喋りに勤しんでいた時、話題は僕のチガンダネームに。

その頃、僕はまだチガンダネームを授かってなかったので、興味津々で話題にのっかった。
案の定「タカのチガンダネームをつけよう!」という流れに。




みんなでの熟考の末、、、






『ムビル』に決定。ムビルのクランは『マンバ』(ナマズの一種)。

"キャッチーでスマッシュ、そして一握りのパンチをピリリと効かした、ダンディズムを体現したような名前にして!"との僕の懇願を全く無視した、間延びした名前。

それでも先輩がもらった笑えるチガンダネーム、
セガワ(日本人で聞いた事がある)やナマクラ(笑)とかじゃなかっただけマシか。

それからはルガンダ語で自己紹介する時は"タカ・ムビル"で固定してます。
明らかな外人顔で、ルガンダ語を話すだけでも驚かれるのに、チガンダネーム(+クラン)で自己紹介すると、ウガ人から爆笑されて受け入れられる。

誰だって相手にじぶんとの共通点をみつければ、それだけで親近感が泉のごとく湧き出すものだし、友情と信頼が芽生えることだってありえます。そのまま肩をくんで歓楽街にくりだし、マンバに乾杯する夜があったっていい。

実際、仲良い生徒や村人からは「ムビル~!」って呼ばれてます。

"名前"という確かな存在証明をもらって、七輪の上のホクホク焼き椎茸みたいな気分なのです。そら、アカウント名もTaka.Mubiluに変更しちゃうってもんだ。

2010年10月12日

21世紀って、未来だったのか②

んなわけがない。
50Kbpsに上がった所で400分の1だ。

お前のおじいちゃんはウミガメか!
馬鹿野郎、この野郎め!いつもここから

と、一通りモデムを罵った後、
Orangeショップに走って、Orangeのモデムを購入する事にしました。
Orangeは、ウガンダでのiPhone販売権を独占するくらいの"the 海外資本"。
もちろん"the 海外技術"も持ち合わせている、ナウくてシャレオツな会社。
モデムだって、この通り(センスある)。
そして懸念のネット速度も、平均速度50Kbpsから1Mbpsに!
なんと、一気に速度20倍!驚異の速さ!
(さすがに現在の日本並とまではいかないけど、昔のADSL並)

おかげで、ウェブページもサクサク開く。
そこで、日本と変わらないネットライフを敢行。


まず、BGMとしてgetty Imagesをつけっぱなし。
blogパトロールに、Podcast、Twitter、MacKeyHoleTV、Skype、ニコ動、USTREAM、、、、etc。
(ウガンダからならPandoraにも入れると思ったけど、ウガンダからでもやっぱり無理でした。)



特に、MacKeyHoleTVと時差の合わせ技が凄い。
(ウガンダは、日本-6時間の時差)

例えば、試合開始13時の広島カープのデイゲームは、朝7時から。
起床&ラジオ体操のすぐ後に、朝食を食べながらRCCラジオ(中国放送)で「赤ヘルだいすき!広島カープデーゲーム中継」が聴取可能なのだ。

それに、深夜ラジオ&深夜放送(25時頃)が、こっちでは夕方19時。
ゴールデンタイムにTwitterのタイムラインを追いながら、テレ朝で「朝まで生テレビ」を視聴できるのだ。
8月の朝生で、東さんがドリームインキュベーターの堀さんにキレ(させら)て、放送中に勝手に帰ってしまった下りは最高に面白かった。
(もちろん、その後突然帰って来て、堀さんと激論になったのも込みで)

ただ"博士の異常な鼎談"が放送打ち切りになっていたのは、ショック。
数少ない地上波での視聴番組だったのに。。。



それと、Skypeね。
アフリカにいながら、日本の友達と相手の顔見ながら話せた時は、本当に未来を感じた。
橘川幸夫が、キリスト生誕とインターネット生誕は、世界史上で同じ位の大事件だって意味で、
"キリストの生誕前をBC(ビフォー・キリスト)と呼ぶように、
 僕はインターネットがなかった時代をBI(ビフォー・インターネット)と呼んでいる"
なんて、カッコつけてたけど、その言い様もまんざらじゃあないな。




"インターネットがあれば、人生を、LOVEを、世界を、今この瞬間に生きているあらゆる人々と国境や人種を越えて分かち合えちゃうのだ!"なんて、鼻息荒く叫んでみたりして。


時代のど真ん中で遊ぶってことは、つまりはこういうことなんだな。


追記:
上記の勢いで利用してたら、契約容量をあっという間に使い果たして、ネットが使えなくなった。さすがに日本並のネット生活は無理です。悪しからず。

21世紀って、未来だったのか①

前述の電波ブログの通り、
僕はMTN(ウガンダでのNTT的存在)と契約してインターネットを使ってます。

これを我が村、我が家で使用するとネット速度が平均20Kbps。
ちなみに、日本で使ってた光回線が大体20Mbps。つまり、1000分の1。
雑に言えば、日本で2秒で転送できるデータがここでは2000秒かかる計算だ。


べりーべりー遅い。


"ウェブページが開くまでの待ち時間"程、人生において無駄と言える時間もないんじゃないか。
別の事を考えようにも、別の事をしようにも、
あと数秒で開ききりそう、だけど開かない、けど開きそう、、、

あー、、、、開く!、、、、、、、と思ったけど、、開かない、、、の、、か。。。

なんてツンデレを目の前で展開されたら、どうしてもそっちが気になってしまう。

このままでは"鬱蒼と生い茂る緑に囲まれてヒヨヒヨと鳴く鳥の声を聞きながら、ベランダで放心"という、人生において最上と言える時間がなくなってしまう。



と、言うことで。
色々とUpgradeしました。 


まず、ブラウザ変更。
今までは特に不自由も感じなかったので、Mac標準ブラウザのSafariを使用。
それを速度優先で、Google Chromeに変更。
Operaの方がChromeより早いという噂もあったんだけど、Chromeの方が機能拡張が激しくて、長い目見れば利便性が高いような気がしたので、こっち。


次に、polipo導入。
僕はMacを利用しているので、Mac用GUIのdolipoを導入。
polipoは、軽量で超高速な個人用のWWWプロキシサーバー。
簡単に言えば、導入すればネットが早くなるのだ。
詳しく知りたい方は、Google先生に聞いて下さい。




次に、Google Public DNSを導入。
Google Public DNSは、無料公開DNSサービス。
簡単に言えば、導入すればネットが早くなるのだ。
詳しく知りたい方は、Google先生に聞いて下さい。

上記の三点を変更。
(これらのアプリをダウンロードしてる間に、日曜日が終わった)


その結果、、、、
20Kbpsから50Kbpsまで速度UP!
やったーー!これで、快適ネット生活だーー(´ω)ノ!

2010年10月8日

Africa's Inside Me

絵画風
ウガンダに住み始めてから、6ヶ月。

訪ウガしてすぐの頃の、
見る物全てが珍しい"毎日がいい旅夢気分"なんてバブル気分はさすがに抜けてきました。

生活してみれば、ウガンダだから、日本だから、って差はそんなにないんじゃないかと。
今やコロロ村も"遠くの近所"みたいなもんで、もうすっかりAfrica's Inside Meなわけだ。

慣れってのは人類が開発した最良の隠し味だよ、全く。


朝起きて、学校行って、授業して、給食食べて、友達と遊んで、本読んで、夜寝る。

何かが終わることもなく、何かが始まることもない、なんてことない日常の延長。
"ここではないどこかへ幻想"も好きだけど、"終りなき日常"ってのも僕は好きなのです。

そんな最低限の生活のベースとペースが築けたことなので、
ちょっとずつ活動の幅も広げていきたい。やりたい事ってのは、まだまだ沢山あるのだ。




それと、ここのブログね。
まず、Flickrの無料アカウントが限界枚数200枚を超えかかってる。

画質を落としてでも多くの量をUPしようと思ったわけだけど、もう限界枚数にこようとは。
Up gradeしようにも、今の生活じゃ月に$2も払ってらんないよ。
なので、できるかどうか分からないけど新アカウントで更新してみようかな。



それと、もう少し早く更新してもいいんじゃないかって。
なにせ一日の事を一ヶ月かけて書いてるくらいだ。
のんびりにも程があるじゃないか。内容的にはまだ5月頃の事を書いてるぞ、自分。

ただこっちは停電がデフォルトで、平気で5日間停電なんて事もあるくらい。
おかげで、絶え間なく世界を駆け巡る無限の情報なんて、すきま風ほどにも入ってこない。
まぁ、それはそれで良いんだけど。

以前書いたテロの実行犯、ソマリアの武装勢力"アル・シャバブ"がまたウガンダへのテロ攻撃を布告して、カンパラでは色々と忙しいみたいだけど、村ではそんな忙しさも何のその。
"同僚のノエリーンとデイビッドの子供がそろそろ産まれそうだ"とか
"マンゴーがそろそろ旬の時期だ"とか、そういった情報の方が重要なのだ。


そんなわけで、
コロロ村の電力安定供給が実現されるのが先か、
もー書くの面倒クセーと言って更新を完全に放棄するのが先か、
また当の本人は本を読む時間がふえたとむしろ歓迎の姿勢を示していることもあり、
ブログにおける今後の更新については依然として不透明なまま、現場はなおも緊迫した雰囲気に包まれて予断をゆるさない状況にあるといえるでしょう。

現場からは以上です。





いつも読んでくれてありがとう。
いきなりなんだと思うかもしれないけど、なんとなく言っておきたくなりました。

2010年10月6日

平べったいPTCでの一日⑬

そんなこんなで、平べったいPTCの一日は幕を閉じるのでした。
ちょっとネタを詰め込み過ぎたから、一見起伏のある一日になってしまった。
もちろん毎日こんなに充実してるなんて事はないです。

実際はこの中の数点だけだったり、全くなかったり、書いてない事が起きたり。

何にせよ、こういう平べったい日々は大事に箱にしまっておきたいものです。
The Pig of Kororo

平べったいPTCでの一日⑫

放課後 18時〜19時

コロロ村に帰宅すると、颯爽と大将が駆け寄ってくる。
With Lewis⑤

そして、僕らは遊ぶのだ。
With Lewis①With Lewis②

(∩´∀`)∩ ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
With Lewis③


先日、ルイにめちゃイケの爆裂お父さんばりのジャイアントスイングをおみまいしてやったら、
「ママー!!」と全力で泣かれて、家に帰られてしまった。
With Lewis④


ちょっとやり過ぎたかなー、、、と反省。


翌日。
コロロ村に帰宅すると、颯爽と大将が駆け寄って来た。
(我ながら、デレデレ感たっぷりの映像だ。)

そして、僕らはまた遊ぶのだ。
(∩´∀`)∩ ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
With Lewis⑥

平べったいPTCでの一日⑪

放課後 17時〜18時

ここだけの話。
少し前から、放課後は走るようにしているのだ。

何度も書いているけれど、ウガンダは平均標高が1200mの高地。
そのため、長距離ランナーの高地トレーニングにはもってこい。
なんてたって、こちとら現役時に愛用していたasicsのTARTHER持参なのだ。
帰国後の第二の人生は、マラソンランナーか松野明美かって程だ。
Why don't you run?①


まず学校から帰宅したら、夕飯の準備。
Why don't you run?③
ここがミソ。ランニング後のシャワー後のストレッチ後だと、一から食事の準備をする気にはさらさらなれない。



夕飯準備後、我が家@コロロ→ハイウェイ沿い@ワビガロまでの往復10kmを走るのが日課。
いや"日課"なんて偉そうな事書きましたが、始めのうちは走りきれませんでした。

これには凹んだ。
日本にいた頃も走ってたので、今までは10kmなんて軽く走れた。
それがウガンダでのトレーニング初日は6kmで限界。

その理由が心肺機関の限界だったらまだ許せる(高地なので)。
んが、実際には膝が痛くて断念。


"訪日"ならぬ"訪ウガ"してからの、
"昼寝やゴロゴロやブヒブヒし続けた日々"a.k.a"堕落の日々"は、僕を弾力のある丸々した山形名物"玉こんにゃく"に変化させてしまったのだ。これには凹んだ。
いやこれはこれで素敵な話だけど(もぐもぐ)。

そんなこんなで"少し前から"走ってます。


我が家@コロロ→ハイウェイ沿い@ワビガロまでの道のりでは、様々な人とすれ違う。
Why don't you run?②
井戸からの水汲みの人、野菜を市場に持ってく人、学校帰りの子供、バイクタクシー、、、etc。
そんな皆の反応は、決まって変人を見る目で凝視。
そらただでさえ珍しいムズングが、珍妙な行動(ランニング)をとっていれば、そうもなる。
バイクタクシーの兄ちゃんには「金ないなら乗ってけよ」なんて、同情される始末。


そんな冷たい反応に負けず、"人とすれ違う時は必ず挨拶"という俺様ルールを貫徹。


今では
学校帰りのアバーナ(子供達)には「お疲れ様ー」
疲れて歩いてた時に会ったセボには「歩いてないでしっかり走れよー」
レストランで夕飯を食べてた時に会ったセボには「今日は走らんのか?」
なんて言われるくらい、コロロ周辺では有名になりました。

追記:
ただトレーニングしてるだけでもつまらないので、
今度、隊員友達とトライアスロンに出場する事にしました。
健全な若者に必要な栄養素は、"タンパク質"と"ワンパク質"だと信じてます。

平べったいPTCでの一日⑩

放課後 17時〜18時

放課後、生徒達の多くは学校の近くにあるプレイグラウンドでサッカーやらバレーやらネットボール(ドリブル禁止で、onlyパスなバスケットボール)やらで遊んでいる。
Play ground②
もちろん、、、そらぁ、、、、、ねぇ?

そんな話聞いたら、参加したいじゃないですか?

一緒に遊びたいじゃないですか?

けど良い歳した先生が、生徒に向かって
「僕もまぜてよー」なんて、言いづらいじゃないですか?
(注:生徒は僕より年上だったりするのだが。)

そんな中二病みたいな悶々を抱えている時に、
サスペンダとロジャースの(特に仲の良い)生徒二人が
「マスターもおいでよ」と誘ってくれた。





次回の試験の添削作業の時は、
あいつらの分だけ、たっぷり愛のこもった添削をしてやらねばなるまい。





という訳で、二人と共にプレイグラウンドへ。
ただ彼ら流のバレーボールのルール、勝手が分からなかったので
「最初は見てるね」と遠慮して言った。

そう、確かに僕はそう言ったのだ。

数秒後。
気づけば、僕はコートの中に。
気づけば、いつの間にかまわしを締められて、土俵に上げられて、
相撲を取らないと許されない状況になっている。

けど。
始めてみれば、遠慮なくギャーギャーと一番騒いでるのは自分だったりするからタチが悪い。
Play ground③Play ground①
そんな感じで、放課後は生徒達と遊んでたりします。