2011年3月16日

それぞれできる事

いつまでも忘れらないような一日の事は、ウガンダでも伝わってます。
Musisi azze mu Japan envuunulabibya!

その日は、同県の隊員友達が活動している小学校の陸上大会の手伝い。
確か、女子の800mを応援してた時。

事務所から
"Tohoku Kanto de jishin.
Shosai hitsuyo na hito wa renraku kudasai"
という、ショートメールを受け取った。

こちとら関東人だけど、その中途半端な情報に"まぁ、いいか"とあっさり流した。


その後、槍投げの応援をしてた時。

隊員友達から
"確か、東京出身だったよね?
(中略〜地震の話を聞く〜)
だから、まずは家族に連絡とったほうがいいよ!"
という、電話を受け取った。

その場ですぐに両親の携帯に電話したのだけど、不通。
実家@葛飾区に電話しても、不通。
友達A@東京に電話しても、不通。
友達B@東京に電話しても、不通。
・・・・
"とんでもない万が一"が脳裏をよぎり始めたものの、
数時間後に家族&友達の無事を確認できたので安心しました。

けど帰宅してネットで見た津波の絵には、なんだかもう、なんだかどうして、分からなかった。
のんびりしたウガンダと、想像以上に悲惨な日本とのギャップに、理解が追いつかなかった。
そこに、涙が追いつかなかった。


ウガンダでもずいぶん騒がれてる。
ローカル新聞でさえ一面トップだったし、ラジオやテレビでも流れてる。
生徒と同僚にも、両親・友達の事をたくさん心配される。



一人で茶碗をコチコチ洗ってる時、急に寂しくなった。



地震関連情報は生の速報が知りたかったので、
Twitter(たまにUstとニコニコと2ちゃん)を中心に追いかけていたのだけど、
ひとつずつの現場でそれぞれの人がそれぞれできることを取り組んでいるのをずいぶん見かけた。
有意義な情報を拡散させたり、冷静で的確な意見を述べたり、文字以上の鼓舞をしてみたり。
井上雄彦さんのSmileは、効いた。
 Smile60. #prayforjapan #tsunami on TwitpicSmile59. #prayforjapan #tsunami on TwitpicSmile61. #prayforjapan #tsunami on TwitpicSmile66. #prayforjapan #tsunami on Twitpic
Smile62. #prayforjapan  #tsunami on TwitpicSmile64. #prayforjapan  #tsunami on TwitpicSmile65. #prayforjapan #tsunami on TwitpicSmile66. #prayforjapan  #tsunami on Twitpic
Smile53. #prayforjapan #tsunami on TwitpicSmile45.   on TwitpicSmile44. on Twitpic Smile58. #prayforjapan #tsunami on Twitpic


気のふさぐような時、笑顔を眺めているとさっと目の前が晴れて、澄んだ空気が流れ出す事ってあると思う。

「笑顔には笑顔が返ってくるもんだ」って経験則もある。

笑顔がなにかのビタミンのように周囲を元気にするのも見てきた。

心にもない笑顔でも、それなりに小さな灯になる場面があるのも知ってる。


それぞれの場所で、それぞれの人が、それぞれできること。
Pray for Japan

ご心配な状況が続いてるみなさんには、
ご無事と安心をお祈りするばかりです。

とても範囲も広い、被災の現地にあって、
献身的に、さまざまな仕事に取り組んでいる方々には、
遠くにいるものですが、お礼をもうしあげます。

ひとつずつ、救助や復旧が進んでいること、
敬意を持って見守ってます。

ひとつずつの現場の問題に取り組んでいる人びとの、
勇気と尽力に感謝します。

2011年3月8日

GOOD MORNING '11㉒

何度も言うけれど、今回の登山目的は初日の出@頂上なのです。
そうなわけで、「頂上アタック=ド深夜」は自明の事実。
4日目の19時から寝始めて、23時起床で、23時半から頂上アタックという事になった。
ただでさえ疲れてる上に睡眠時間短い上に頂上アタック、当然"寝なくちゃ"となる。


ただ
"寝なくちゃならない"なんて、眠ることが"義務"みたいな感じになると、とてもかなしい。
もっと言えば、"寝れば疲れがとれる"なんて、こうすればこうなるよという因果関係の証明だけに特化してて、そりゃあないよとだっておもう。
みんながお酒をのむのは、酔っぱらうためだけじゃないでしょう?
バーのカウンターでスイーとカクテルのグラスをすべらせて、
美女にプリーズとかそういうのもふくめてお酒なんじゃないの!(僕下戸なので、多少イメージ偏ってます)


"寝なくちゃならない、寝ないと絶対頂上アタックはキツイ"
そんなお尻に火のついた状況のようではあったけれど
そういうときこそきもちを落ち着けて
畳の目をひいふうと数えたり
プリンをぱくぱくやったりするべきであるとわたくしは考えるのであります。









いいのいいの。












おもいをはせる。




















ぜんぜん寝れなかったのです。


だからテントを抜けだして外で夜空をパチパチ撮ったり、
星を眺めつつ、ゆで卵の固さの好みから世界の成り立ちまでありとあらゆる事におもいをはせた。
それでいいんじゃないかと。



して、集合時間を30分も寝過ごした。

GOOD MORNING '11㉑

BARRANCO CAMP(3840m)からは、
上を見上げるとキボ峰南西側の絶壁、ブリーチウォールを目の当たりにできる。

この圧倒感は圧巻。
それを表現しようと、手前でジャンプと奥でジャンプって写真で比較してみたものの、、、分かりづらいか。
MACHAME ROUTE⑳

MACHAME ROUTE㉑
(奥でジャンプしてる↑)



キリマンジャロ登山第4日目は、登って降りての繰り返しがつづく、体力の要る区間。
MACHAME ROUTE⑲

後半は高山植物すらなくなり、ひたすら荒野が続きます。

MACHAME ROUTE㉕

MACHAME ROUTE㉖

この日も"何か"を議論してたような気がする。
けど、都電荒川線ほどの短い駅間隔のような会話をつなぎあわせただけだったような気も。

アドレナリンはギンギンドンドン。




朝から歩き続けること10時間。
キリマンジャロ登りの最終キャンプ地BARAFU CAMP(4550m)に到着。
MACHAME ROUTE㉗

MACHAME ROUTE㉔

MACHAME ROUTE㉓

2011年3月3日

GOOD MORNING '11⑳

4日目。

早起きして外に出ると、どーんと夜が明けた。
Siliver Morning
都会の朝と山の朝は随分違う。

都会の朝というのはざわざわと緩慢にやってくる。

はじめは型どおり東とおぼしき空の一角がほんのり明るみ
ゆっくりゆっくり街のあちこちの人間仕掛けや機会仕掛けが起きだしてきて
全体がともかく面倒くさそうに、夜の明けていく手続、順番というものをキチンと踏みながら
悲しいほど律儀に一定のペースで、ぎしぎしと平凡なその日の朝に移行していく。


その点、山の朝なんてのは原則的だ。

暗闇のなかでいっとき山全体の空気が息をひそめ、動きを止める。
すると突然、虹色に近い日の出前の光芒が遠くの山の背からキラリとはじけ
夜の粒子と朝の粒子が眼の前の冷気のなかで激しくまじり合い
それからあとはしばらく口をつぐんで眺めているだけの、荘重な光のセレモニーが演じられていくのだ。

GOOD MORNING '11⑲

MACHAME ROUTE⑱
降下中は、学生時代の"俺と部活と男子とあの娘"について議論。
MACHAME ROUTE⑭

8時間のトボトボ歩きの末、3日目のキャンプ地BARRANCO CAMP(3950m)に到着⇒就寝zzz

GOOD MORNING '11⑱

MACHAME ROUTE⑬
4200mを越したあたりから、降雪。

初日のスコールと違って牡丹雪がボタボタ降るタイプだったので、パンツは安心。
MACHAME ROUTE⑫


Lava Tower(4640m)が今日の最高峰。


"なんでラバー(ゴム)タワーって言うの?"
知的理系人として聞いたら、ガイドに言われた。


"Rubber(ゴム)じゃなくて、Lava(溶岩)だ"








( 」´0`)」<ヤッホー








 この溶岩の塔には、片道20分で上までよじ登ることができるらしいけど、みんなして華麗にスルー。 MACHAME ROUTE⑰

このLava Tower通過後の道のりは、ひたすら降下。
雪の中必死で登って、稼いできた高度がドンドン無駄に。
"やぁめぇて〜"と、オウム事件の横弁を彷彿とさせる絶叫と共に下ったのでした。 MACHAME ROUTE⑯

GOOD MORNING '11⑰

3日目。
SHIRA CAMP(3840m)から登山で登山。
MACHAME ROUTE⑩
この日は、日射しが強い上に、MAX4640mまで登る道のりなので、自然と休憩も多くなってくる。

にも関わらず、ポーターはヒョイヒョイ追い越して行くのです。
頭上と背中にほぼ20kgの荷物を背負って。

ガイドやポーターの多くは、山のふもとに暮らすチャガと呼ばれる人たち。
彼らのほとんどが農民で、雨季には畑に出て、バナナやキャッサバ、コーヒーなどを栽培している。登山シーズンになると契約している旅行会社から連絡があり、羽毛服や寝袋などをザックに詰めて仕事に出る(薄着)。
一回の登山に要する日数は、5日から6日程度。
一部の例外を除くと、山へ入るのはほぼ全員が男性。つかの間の出稼ぎというわけだ。

"超合金Zで出来てる"と言われても納得な強靭的肉体&体力。見習いたいもんです。
MACHAME ROUTE⑪

MACHAME ROUTE⑮