2012年1月20日

What A Wonderful World①

結局。
これからずっと問われ続けるのは
「何でアフリカ行きたかったんですか?」
って話だと思うのだ。

そりゃ今までだって何度となく聞かれたけど、相手によって返答はまちまち。
「好奇心」「国際派として」「自分を試す」「むしろ呼ばれた」「毎日バナナ食べたい」...etc
飲みの場だったら可笑しく語るし、好きな子にだったら魅力的に語るし、仕事の場だったら論理的に語る。
まぁどれも嘘ではないけど、相手のために語るので深い本音はちょっと誤魔化す。


けど、自分宛にだったらしっかり書ける気がする。
だし、今しか書けない気がする。
から、頑張って書いてみよう。




「生きてくタフさ」が欲しかった。




来る前に考えてた事を言葉にするなら、一番近い。
「貧困国まで行って、結局、自分の事か!」って怒られそうだけど、その通りなんだから平謝りするしかない。


来る前。
僕は、就活で失敗して大学をダブった。
反省としては「やりたい事がやりたい」という感情で鼻息が荒かったからだ。
「僕がこんなにアナタを好きなんだから、アナタが僕を好きにならないはずがないじゃないですか!」
というロジックで就職しようとしてたのだから、やれやれだ。
しかも、インターンで声をかけてもらったのを蹴って、1社しか受けなかったのだから、やれやれやれやれだ。


後日、親身にしてくれる先輩に諭された。
「お前のために仕事があるわけじゃなく、仕事のためにお前が何ができるかが大事なんだ」
コペルニクス的転回とはまさにこのこと。
それは目からウロコもぱらぱら落ちようというものです。


まぁ、何がダメだったかは確認できたけど、後悔してるかと言えばそんなに。
本気でやったからこそ得るモノはあったし、本気で落ちたからこそ見える景色もあり。
決して健康な人間が悪いわけではないけど、時にその健全さが鈍感さを伴って、 弱い人を無意識的に追い詰めてしまうこともあるのだと気付いた。
ロジックという言葉の意味を知った時は僥倖だった。
完全に黒歴史だけど。
まぁそういう負の思い出は、胸の奥の箱にパタンと大事にしまっておきたい。






じゃあ、もう一回進路決めようという事になり。
けど、あんまり自分のできる事なんてないわけで、
じゃあ「自分のできる事が増やせそうな場所」に進もうと思ったのだ。

そこで協力隊、アフリカに行きたかったのでした。

「自分のために国際援助?」とツッコまれるけど、「貧しい人を助ける」って動機だけなのも疑問。
どんなに「南」の国々の調査なり視察を重ねてパスポートが訪問国のスタンプで埋め尽くされても、何も学んでいないことだってあると思う。相手国や相手の人々をもっぱら援助や調査の対象としてしか見ないからだ。
自分の生きる足元に対する疑問ないし問題の発見からじゃないと、どうも胡散臭くて無責任じゃないか。
安易な善意はときとして無知よりもはるかにたちが悪い。
「出会ってしまった友だちが困ってるから、なんとかしたい」って思いだってバカにできたもんじゃない。
(その実、人生かけて国際援助の仕事に従事する人も現場にはしっかりいるので、悪しからず)

ただ。
友だちをなぐさめるだけじゃなく、なにか力になってやりたいと思うなら、なんにもできないやつのままじゃダメなのだ。

だから、この環境は自分のできる事を増やし続けなくちゃいけない場所だと思うし、そう願って来たのでした。
「自分探し」ならぬ「自分づくり」のつもりでウガンダに来たのでした。





はい。
一つ目の理由終わり。

あー、これは長くなる。

長文と他人の自意識に興味ない人は、ここで優しく「閉じる」のボタンを押すことをお薦めします。




実務的にできることを増やすだけだったら、別にアフリカじゃなくてもいい。
ただ、実務だけ完璧なんて「1万円札しか入ってない財布」みたいで嫌じゃないか。
もっと広い意味で「生きるタフさ」を学びたかった。

「電気も水道もろくにないところでマズイ飯食って生き延びれば、日本でならドヤ街でも耐えられる」
っていう物理的タフさはもちろん身につけたかった。
けど、やっぱり気持ちが折れないタフさ、精神的なタフさが欲しかったのだ。

根はテキトーだし、ぼんやり生きてるつもりだけど、たまに弩級に落ちる時もある。
目の前にあってどうにでもできそうなのに、足すこともできなければ引くこともできない、
まるで六面そろったルービックキューブみたいな、手の出しようのない完璧な悲しみを前にした時とか。
前にも書いたけど、僕はそこでだいたい"放棄"を選んでしまう。
でもそこで、白旗をあげる気にはなれなくて「そんな旗、洗濯しとけばいいさ」なんて流してる。

the laundry


本音を書けば、
それでいて言い表しようのない胸の内は「ただ呑み込むしかない」と思ってる。
それは雪みたいに降り積もって胸を冷やすのだ。
わざわざ自分で降らしてたら世話ねえよって話。
結局ぐうの音も出なくて耳まで赤くしながら、誰も見ていないところで雪かきしてる。
呑み込む事になれているならなおさらだし、何しろそれが一番てっとりばやい。

早い話が溜め込むのです。考え込むのです。
もちろん死ぬこたないけど、生きてくには厄介だなーと思ってた。
そんなこんなで、タフになりたいみたいな願望があり。

それを学びたいと思ったのが、もう一つの理由。
貧困国と呼ばれるところだったら、現地の人はタフなんだろーと思って。それをマネたいと思って。

ただ、「彼らは貧しくても心がキレイだ」みたいな、自分の視点を放棄して現地の人をただ賛美したりするのは好きじゃないし、
自分の怠惰へのスケープゴートとして現地人を「無能」だと貶める感じも嫌で、
決まりきった生ぬるい定型句言って、でも実際はただ思考停止してるだけみたいのもウンザリだし、
「世の中何もかもヤッツケないと気がすまない!」みたいな、全てを批判したがる若い人みたいなのも苦手で。


拾って、手にとって、しみじみ見て、口に入れて、大事にしまって、また出して、匂いを嗅いで、撫でて、温めてみたいに、長いことずっとそばにいることで分かること、見えることってあると思ったのだ。





そういう事で、僕の問題は「生きてくタフさ」を身につけることだったのでした。

タライに溜めた洗濯物を足で踏みつけてる時
授業で生徒に運動方程式の問題を解かせてる時
長距離バスの移動中に流れてく風景を眺めてる時
どう頑張っても寝れなくて一人でお酒を飲んでる時

思い出しては、思いふけってた。

「バカの長考、休むに似たり」なんて言葉があるけど、ありあまる時間があるんだから仕方ない。
何も考えない結果「帰国した途端、出国前の自分に戻りました」じゃ、日本国民に申し訳ない。

自分で考えることは、怠けちゃいけない。
ブログのタイトルからして、そういうスタンスだ。



ものぐさという名のやんごとなき事情から更新がポイとうっちゃられ続けたのは、怠けてる証拠なんだけど。

2 件のコメント:

  1. 少し前にコメントしたものです。
    私も、貧しい人を助けるっていう関わり方は難しいんじゃないかという思いがあります。
    貧しい人を助けるうちに自分がつらく貧しくなっていくようなことではなーとか、器が小さいですけど。
    でも、だから、このブログが好きでした。
    明るく、自分が楽しんでいく姿勢があったり、撮ったたくさんのきれいな写真があったり、友達が帰ってさびしいと思ったり、そういうところがいいです。
    私は多分同世代です。
    私のまわりもみんな就活には苦労したし、第一志望に決まった人なんて見たことないけれど、すごく惚れ込んだ会社だったんでしょうが、それでウガンダに行ったなんて、タフになりたいって理由とともに面白すぎます。
    田山花袋の「蒲団」で主人公が若い頃を回想して、あの頃今の奥さんと結婚できなかったら、南方の植民地の商社に行こうと思いつめていたなぁというシーンがあって、明治人のメンタリティーがとてもツボだったのですが、なんだろう、明治人のような生真面目さですね。
    実際、タフになろうと想像することはあっても、なかなかできないです。
    でも、理由はなんであれ、というかそういう理由も含めて、将来小学校の先生になるかもしれない人に、こんな若くて面白くて才能のある日本人が教えているなんて、立派だし素敵なことだと思いました。
    長くなってごめんなさい。

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  2. >匿名さん
    うーん。読みいってしまう面白いコメントありがとうございます。面白くてうなります。
    僕のブログから「蒲団」を連想するって、本当に同世代ですか笑?
    でもあまりに褒めてもらって照れますね。匿名さんの褒め方好きです。センスある。
    あんなに茶化した文章から「真面目さ」を読み取ってしまうのはさすが。
    そう思われるのが恥ずかしいから誤魔化してるつもりなんですけど笑。
    これからも匿名さんの期待に応えられるよう、襟を正して楽しんできます!

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