2012年1月26日

そうだ、結婚しよう。⑥

後日。
結婚式当日のやり取りを取材するため、デイヴィッドの家に足を運んだ。そこにはもちろんノエリーンもいて、二人の娘のエスタ(1歳)と、レベッカ(0歳)もいた。子供たちの晴れ晴れとした笑い声に満たされた新婚の家は、なんだか幸福ってやつの正体を遠くからのぞいてるみたいな気持ちにさせられた。
そうだ、結婚しよう。⑱


そして、ひと通り結婚式でのアレやコレやを質問し終えた後、最後にずっと聞きたかった事を尋ねた。

「結婚についてどう思う?」

改めて口にするのは恥ずかしくて難しいかな、と先読みしていたら、彼は少し考えた後、ためらいもなく涼しい顔でゆっくりと言った。


そうだ、結婚しよう。① 「結婚は、『その人といつまでも一緒に』って感じる心の高揚なんだと思うんだ。それは単純で、俗っぽくて、些細なことで、ありきたりな事なんだけど」


 それは、全然背中に重い人生を背負っている感じのない、とても風通しが良くて、気分のゆったりとした結婚感だった。僕のように鼻息荒く結婚の意義を思い悩んでいる若輩ものにとって、色眼鏡がパリンと音を立てて割れるような一言。どれだけ自分の荷物を軽く思えたことか分からない。

 そう思えば、コントのようなウガンダ結婚式も理解できる。式に参加する前は「一生に一度の儀式」「人生史に刻まれる祝祭」なんて難しく考えていたけど、そこではそんな気負いはまるっきりお呼びじゃなかった。一時的に作られた非日常なんかじゃなくて、いつもずっと傍にあるようなウガンダの日常の陽気さ。意地だとか、試練だとかっていうのじゃない、単純で、俗っぽくて、些細なことで、ありきたり。一貫して式にあったのは、こっちまで笑顔になるような、赤ん坊や犬なんかとも共通しそうな無邪気さだった。




その時突然思った事があって、それをここに書こうと思う。
それは僕の意志や覚悟なんかとは全く関係ない、単なる実感だった。
とても気持ちが良くて、甘ったるくて、優しい実感だった。

ーー愛情をただただ育んでいくということ。

彼らの愛情の交換にゴールなんかはなくて、白黒つけるものなんかも何もなくて。
得られる愛情も、与える愛情もそんなものはなくて。
大きくなるものなんかじゃなくても、濃くなるようなものじゃなくても、少しずつ、少しずつ、大切にただひたすらに育み続けること。
そうやって代わり映えのない日常を楽しむこと。
そういうことだけが愛情の交換で、結婚ってやつなのかなと、そのときの僕は感じていた。

世界中を廻るギブ&テイクの中で、僕はこれからも結婚を損得で考えてしまうかもしれない。
どれだけ慎重であろうとしても、僕の怠惰や欲望は誰かを傷つけてしまうかもしれない。
そして何度も結婚にガッカリするだろう。

だから、いつまでも覚えておきたいと願った。
ウガンダで、彼らを通じて降りてきた優しい実感を。
いつまでも覚えておきたいと、僕は願っていた。

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